安保法案に関係ないレッテル貼りで不安を煽る野党に手を貸す毎日

◆造語で徴兵制を印象

 「憲法解釈変えたら次は徴兵制ですよ」。こんな荒唐無稽な民主党・枝野幸男幹事長の話を6月、朝日が大真面目に報じて以来、安保法案に反対する新聞に「徴兵制」の文字が躍るようになった。

 曰く、「憲法と徴兵制 やはり解釈変更は危うい」(西日本3日付社説)、「徴兵制が将来導入される懸念は消えない、というのが国民の皮膚感覚ではなかろうか」(東京16日付社説)。法案は徴兵制とは全く関係ない。いったい誰がそんな「皮膚感覚」を持っているのだろうか。

 当の民主党は「いつかは徴兵制 募る不安」とのパンフを作成したが、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」に掲載された「徴兵制!? 広がる不安」と酷似しているため党内の保守系議員の批判を受けて改訂。が、微修正にとどまったため収拾がつかなくなってきているという(読売26日付)。

 どうやら民主党に共産党シンパがいるらしい。なるほど東京の言う皮膚感覚もここに由来するようだ。

 毎日の皮膚感覚も相当なもので、「経済的な事情から貧困層の若者が自衛官の道を選ばざるを得ない『経済的徴兵制』への懸念が語られ始めている」(23日付夕刊「特集ワイド」)と、「経済的徴兵制」という聞き慣れないフレーズまで持ち出している。これは『ルポ 貧困大国アメリカ』の著作があるジャーナリスト堤未果氏の表現で、貧困から抜け出し人間らしい生活をするためにやむなく軍に入隊することを指すらしい。

 だが、記事は「ワーキングプアがさらに増えれば、米国のような経済的徴兵制の社会になる恐れはないのか」といった臆測ばかりで、米国であり得ても日本の自衛官に当てはめるのはどだい無理な話だ。「語られ始めている」とは毎日が勝手にそう言っているだけだった。いくら偏った記事の多い「特集ワイド」と言っても度が過ぎている。

◆低次元な議論が続く

 それにしても安保法案をめぐってはレッテル貼りばかりが目立ち、論議は低次元すぎる。民衆操縦のための宣伝・扇動つまりデマゴギーを任務とする共産党機関紙ならまだしも、一般紙がそれをやるのは言論の自殺に等しい。

 こういう日本の論議を米国はどう見ているのだろうか。産経の古森義久氏(ワシントン駐在客員特派員)によれば、「安保ただ乗り」の日本への不満や反発が広がっているという(25日付「緯度経度」)。

 それによると、15日に開かれた下院公聴会でブラッド・シャーマン議員(民主党)は「日米同盟はまったくの一方通行だ。有事には米国が日本を助ける責務があっても日本が米国を助けることはしない」と発言した。

 9・11事件で米国人が3000人以上も死んだとき、米国の対テロ戦争には北大西洋条約機構(NATO)の各国はすべて集団的自衛権を行使して米国と軍事行動をともにしたが、日本は同盟国なのにそうしなかった。シャーマン議員はそう批判し、日本へのいら立ちを露(あら)わにしている。

 7月と言えば、米国の建国記念日の月だ(同4日)。その独立戦争の英雄の一人に21歳の青年、ネイサン・へイルがいる。彼は戦いの劣勢を挽回すべく、イギリス支配地に潜入するも発見され処刑された。そのときの言葉があまりにも有名だ。

 「私が残念でならないのは、私の国の為に捧げる命がたった一つしかないことだ」

 これが米国の建国精神で、今も国を愛する人々の心を捉えて離さない。枝野氏や左派新聞の皮膚感覚ではとうてい分かり得ない崇高な精神か。それを貶(おとし)めたり、集団的自衛権を拒否したりする日本の新聞論調は米国民には理解不能だろう。

◆国を守るスイス国民

 永世中立国のスイス国民もそうに違いない。スイスでは2013年に徴兵制の是非を問う国民投票が実施されたが、圧倒的多数の国民は徴兵制廃止に反対した。国を守るのは国民全体の責務と考えているからだ。もちろん「経済的徴兵制」とは無縁だ。

 自衛官のほとんどもそうで、入隊の動機はどうあれ、ひとたび自衛官になれば、等しく人々のために犠牲も辞さずとの使命感を抱くという。枝野氏や左派新聞にそうした犠牲精神がないと言うなら、自らの「精神的貧困」こそ恥ずべきであって、他者を批判する資格はない。

(増 記代司)