「ヨハン・ゼバスチャン・バッハは、十九世紀に…


 「ヨハン・ゼバスチャン・バッハは、十九世紀になって再発見された作曲家である。一七五〇年に没したバッハは、その後約八十年間、一般社会からは全く忘却されていた」(小林義武著『バッハ復活』)。

 バッハが活躍したのは宮廷で、一般市民が直接接触するのは困難であり、教会だけが社会と触れる場だった。が、教会音楽家としては生前、価値を認められておらず、忘れられた。

 「限られた音楽家のサークルの中でのみ、バッハの鍵盤楽曲が、細々と生き続けた」と小林さんは述べる。1829年、メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を再演することで発見され、オリジナルに近い形で聴けるようになったのは第2次大戦後。

 生前に描かれた肖像画は2点あり、その一つが1748年、ライプチヒでE・G・ハウスマンによって描かれた60歳代前半のもの。正装し、右手に楽譜を持っている。

 この肖像画は死後、バッハの次男に受け継がれ、ライプチヒを離れた。19世紀初め人手に渡り、英国を経て、たどり着いたのが米国。このほど2世紀半ぶりにライプチヒに戻って、一般公開された。

 バッハが手にしているのは自筆楽譜「謎のカノン(6声の三重カノン)」(BWV1076)。「音楽の捧げもの」と同時期の作品らしい。日本でも演奏活動は盛んで、指揮者・淡野弓子さんによる『バッハの秘密』(平凡社)など出色の研究書が出されている。