内なるパワーを引き出す 平成の“山”勤交代(中)

鳥取県智頭町町長 寺谷誠一郎氏に聞く

提案型地方創生へ 上からのカンフル剤は無力

知恵がなければ借りればいい 借りた知恵には責任を持つ

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 ――再選後、まず手をつけたのは?

 智頭町には千代(せんだい)川の支流沿いに大小87の集落が点在している。副町長以下、課長級幹部を全員集めて「今日から私は87の集落を夜な夜な全部、回る。だからお前ら、ついて来い」と集落巡回がスタートした。町全体が元気になるためには、まず一つ一つの村が元気でなければだめだ。結局、すべて回り切るのに9カ月かかった。

 ただ夜の7時から始まる集落の集会で、まず語ったのは「今日から、要求型は一切、認めない。俺の集落は、これが欲しい。あんたに一票入れた。だからやってくれ。入れてもらったかもしれないが、そういう私情は全部、捨てる。その代わり、提案型もしくは協力型なら話は聞く。俺の集落には、こういうものが欲しい。その代わり、俺たちもそのために汗を流すといったものだ」ということだ。

 すると町民も遠慮して「町長、これは要求型かな。うちの道路の蛍光灯が暗い、何とかならんかというのは要求型か?」と聞いてくる。

 また「国道から自分たちの集落に入る時、小型は入れるが、回し場がなくマイクロバスが入れない。だから年寄りがどこか行く時、マイクロバスを国道に待たせて、自分たちは歩いて出ないといけない。回し場の土地は自分たちで手当てするから、がたがた道を何とかしてくれないか」とも打診してきた。

 私は「そういうのを聞きたかったんだ。あなたたちが汗をかいた上で、アスファルトにしろと言ったら、明日にでもやる」と約束し、すぐ実行に移した。

 村々が元気になるには、上から一方的にカンフル剤を打ち込むようなことじゃだめだ。村自身が持っているパワーを引き出すことが肝要だ。

 そもそも住民には不満がいっぱい、たまっている。がたがた道がひどくて役場に電話すると、役場から人はすぐ来る。だが、ただ写真を撮ってそれで終わりだ。その後、何の音沙汰もなければ、道が直ることもない。町民と役場の職員の距離がいかにあるか、一目瞭然だった。

 中には「くそったれ町長。今度は落としてやる」と憎まれ口をたたく町民もいる。

 それで役場の朝礼で「そもそもなぜ、役場があるのか。さらに君たち役場の職員は、なぜいるのか。答えは簡単だ。太平洋のど真ん中で、人っ子一人いなければ、役場は必要ないし、君たちも不要だ。町民がいるからこその君たちだ。4月に入った新職員は、百人が百人、これからみんなのために働こうと思ったはずだ。ところが、5年、10年がたち、20年選手になると、頭の中は町民のことではなくて、自分のことばっかりだ。自己中心で、町民なんて頭の片隅にもない。これでは税金泥棒になってしまう。

 こういう空気を変えるため、全集落を回った。この町を隅から隅まで見なくちゃダメだとは頭で思っても、ほとんど誰も見ていない。だから町民との溝が生まれる。

 ――地方創生の動きはどういったものが?

 日本の市町村では、地方創生で頭がいっぱいだ。しかし、正直に言うと、何で今頃、地方創生かという思いが私にはある。

 石破大臣が言うのは、地方からいい球を出せ。いい球だったら交付金を出す。出さなかったら、悪いけど知らんよというスタンスだ。

 しかし、そういうことは智頭はとっくにやっている。要求型は認めない、協力型もしくは提案型の町おこしだ。

 結構、今、智頭町に移住者が多い。「森のようちえん」など、東京だけでなく外国からも来ている。

 ――「森のようちえん」というと?

 何ていうことはない。要は子供の放し飼いだ。たった、それだけのこと。

 「森の中で子育てできればステキ!」と言った一人のお母さんがいた。そのお母さんが、これを事業にして智頭で取り組みたいと百人委員会に提案して出発した経緯がある。そもそも子育てには、田舎ほどいい環境はない。水や空気、景色がきれいで食も安心かつ安全、人も温かく自然が豊かなのが田舎だ。

 智頭町にぴったりの「森のようちえん」ができたら、自然豊かな智頭での素敵な子育てを町外のたくさんの親子に発信でき、それで仲間が増えたらいいねとの想いで数人のお母さんたちが一念発起して智頭町森のようちえん「まるたんぼう」が設立された。

 今では、町内外の30名以上の子供たちが、毎日元気に智頭の豊かな森の中でスクスクと成長している。

 さらに、この動きをサポートする地域のおじいさん、おばあさんが現れ、子供たちの元気な声が智頭の森でこだましている。私はこの中から将来、日本の環境を守るレンジャー部隊誕生を秘かに期待している。

 ――「森のようちえん」の次の展開は?

 今、サドベリー・スクールといって「森のようちえん」の小学校版が、今年4月から始まっている。平日型のサドベリー・スクールには学童として登録される。しかし、学校には登校しない。6年生になって卒業式の時は卒業証書を渡さないといけない。

 サドベリー・スクールでは、生徒は学ぶべき内容を学校から押し付けられるということがなく、自らの好奇心の赴くことをルールの範囲内で追求することができる。また子供たちを「クラス」に分け、「クラス」単位で行動するように強制することはしない。

 またサドベリー・スクールでは、すべての年齢の子供たちが一緒に過ごすことによって生徒たちの学びと成長が促されると考えて、恣意(しい)的に生徒たちを年齢によってグループ分けすることもしない。

 ――智頭には町民の企画立案に予算を付けるシステムがある「百人委員会」や安全安心な無農薬野菜を届ける「智頭野菜新鮮組」などいろいろなアイデアで町おこしを図っているが、こうした知恵はどこから生まれるのか?

 誰かが来ると、必ず自分で会うようにしている。

 ――言うは易く、行うは難しだ。

 いや、そうではなくて、自分に知恵がないから、知恵を借りる。その代わり、借りたら絶対、自分が責任を持つ。

 先だっては鉢巻きを巻いた青年が役場にやって来た。会うと彼は「民泊マラソンをやりたい」と提案した。他の町では、会ってはくれても、誰も構ってはくれないと言う。

 東京理科大数学科卒の彼は、夜走って旅をしている。それで朝、500円程度の安い日帰り温泉で休憩し、コンビニで買った弁当を食べる。「怖くはないか」と聞くと、「タヌキやキツネ、クマも動物は怖くないけど、トラックが怖い。びゅんびゅん横を抜いていく」と言う。

 それで奥さんに電話させた。その電話を取って、一年間だけという約束で彼のわがままを許しているという奥さんに、民泊マラソンをどう思うか訊(たず)ねた。すると「よろしくお願いします」という。

 それで「分かった。じゃー、日本初の民泊マラソン決定」となった。

 ちょうど昨年が智頭町誕生100周年だったもので、100人のランナーを集めて、森林セラピーなどをやっている民宿40軒に泊まってもらって民泊マラソンをやった。今年もやる予定だ。役場職員で民泊マラソンの企画を出す人間はいない。ましてや大麻栽培はない。そうしたアイデアを外からどんどん出してもらう。私は、それに食いつく。ただそれだけのこと。

 ――ダボハゼ町長?

 何でもすぐ食いついちゃう。

 (聞き手=池永達夫、森谷司)

 智頭(ちづ)町には3本の柱が立っている。「森のようちえん」に麻、それに何より町長が変わり者だという3本の柱だ。智頭町移住を希望する人々というのは、大体、この3本の柱が持つ磁場に引き寄せられた人々だ。昭和18年生まれ。成城大学経済学部卒業。株式会社光南代表取締役などを経て鳥取青年会議所理事長や鳥取県智頭町森林組合理事、智頭町教育委員など歴任。過疎地を観光地に変えた実績から観光庁から観光カリスマにも選定される。智頭町町長。