大麻栽培のタブーに挑戦 平成の“山”勤交代(上)

鳥取県智頭町町長 寺谷誠一郎氏に聞く

 森林面積が町の93%を占める日本のチベット・鳥取県智頭町(ちづちょう)が、その森を逆手に盛り返している。町を挙げて取り組んでいるのが、平成の「“山”勤交代」プロジェクトで、都市から人を田舎に呼び寄せ、新たな活力に富んだ町おこしに励んでいる。今春から始まった大麻栽培のタブーを破った話を智頭町町長の寺谷誠一郎氏に聞いた。(聞き手=池永達夫、森谷司)

広がる産業の裾野/認可権握る知事口説く

江戸の花火は大麻入り/大きな散発力で大輪咲かす

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 ――山陰では島根の海士町(あまちょう)と鳥取の智頭町が元気だ。

 智頭では「平成の“山”勤交代」をやろうとしている。

 日本は江戸時代、参勤交代をしていた。あれは江戸幕府を守るため、地方の大名に莫大な金を使わせ江戸に半年間、縛りつけた。それで地方は疲弊し、江戸は肥え太った。

 さらに戦後の復興で高度成長の坂を上り始めた時、一番最初に必要なのは労働力だった。人の手は、田舎にいっぱいあった。それで中学校を卒業したら、金の卵と持ち上げられて、夜行列車で集団就職が始まった。そして高度成長で、見事に復興を果たした。

 ところが、省庁が金を持つようになったら、地方のメニューを役人が書き始めた。

 お金持ちになって、地方は何も考える必要がなくなった。知恵を出さなくなった。

 ところが今の地方創生というのは、地方からいい玉を出せという話だ。

 しかし、智頭はそういうことはとっくにやっている。

 先だって県知事を町長たちが囲んだ時、どういうことを考えているか語れと言う。その時、「わしはこの場で言わん」と言った。

 また智頭の町長が何か企んでいるぞとなった。

 だけど生き残りをかけた戦いが始まろうという時、それくらい真剣にならないとだめだ。手をつないで固まってやらないといけないこともあるが、そういうことばっかりやっていると集団泥船で沈没しかねない。

 日本の国土は67%が山だ。そこから玉を出せというと、同じような玉になる可能性がある。同じようなものに石破大臣がよしよしと言って、金を出せば、みんなからばらまきだと批判されて、辞めさせられる。だから、みんながアッと驚くようなのを出さないと意味がない。

 ――それで智頭の玉は?

 ある移住者が、「大麻が栽培したい」と言ってきた。

 「大麻というと、マリファナのことか」と聞くと、「そんなものです」という。

 「行政がそんなもの栽培したら、一発で御用だ。あんた、何、考えているの」と糺(ただ)すと「いや、大麻は名前通り麻なんです。麻というのは、過去、日本にくまなく自然に生えていた。それが戦後、米国の禁止指定で、日本での栽培は消滅してしまった。それをもう一回、蘇(よみがえ)らせたい」と言う。

 それを聞いて、過去に捨てたものを蘇生させて町づくりをするような町があってもいいはずだと思いが湧いてきた。戦前はどこでも一般的な食品で、味噌に大麻の実を刷り込んで食べていた。

 少なくとも、それで、智頭に移住してくるというのだから、挑戦だけはしてみようと思った。気持ちとしては正直、だめかなという思いはあった。

 まず、東京に大麻に強い弁護士を探した。するといるんだ。さっそく智頭に来てもらうと、「町長、大麻栽培の認可権は誰が持っているか知っているか」と聞く。

 「当然、国でしょう。厚労省かなんか」と答えると「違う。認可権は知事が持っている」と言う。それで俄然(がぜん)、希望が出てきた。国だったらハードルは高いが、知事だったら、ひょっとする。

 ――県にはどういう手で?

 まず県庁の担当を調べた。それで役場の職員に「町長が大麻を栽培したいと言いだした」と、それだけ言ってこいと送り出した。「また、智頭の町長が変なことをするのか」と言われたという。

 二度目も行かせて、いろいろ話しているうちに「そんな理由だったら、断る必要はない」という感触を得て帰ってきた。

 それでこれは必ず福祉保健部長に上がる。福祉部長に勝負をかけるのは私の仕事だ。

 今年3月、女性の福祉保健部長が内定した。これは可哀相なことをしたと思った。初めての女性部長で、初仕事が大麻を許可するかしないかなのだから。

 だが、初就任だからおそらく無視はできない。何らかの返事を町に返さないといけない。一番、懸念したのは、国に相談することだった。すると、頓挫するのは目に見えている。それでくぎを刺しに行った。

 「部長、あなたの上司はあくまで知事だ。だから上司に相談する前に、他に相談されるのはいかがなものか。だから知事に真っ先に上げてくれ。知事がそんなもの知らないと言ったら、私は諦める」と申し上げた。

 そう言うと真面目だから、直接、知事に上げてくれた。後は、知事と対決だ。言うに言われないものも、いろいろあったが、結果的に知事が智頭に鳥取県大麻栽培第一号許可を決断してくれた。

 ――周囲の反応は?

 鳥取県は危ないものを認可したのか、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。すると私の方にも、いろいろ電話が入ったり、人が訪ねてきた。ただ、こちらはバッシングではなかった。誰もが出来ることをやっても、インパクトがない。話題すら上らない。ところが、こんなこと出来るわけないでしょうというものは、驚きがある。

 いろんな町から、うちも栽培したいからノウハウを教えてくれといった問い合わせがあった。中にとぼけたのがいて、町長代理で来た課長が、知事を口説いた文句を教えてくれと言ってきたのもいた。

 宮内庁からも電話が入った。「麻を栽培すると聞きました。麻は神社に縁があるもので、神武天皇以来、聖衣は麻の着物、結婚式の縁結びも麻から出来ています」と言う。

 次は花火屋から連絡が入った。江戸時代、火薬には麻が使われたという。麻は、春まいたら、10月までには大きく育つ。それを刈り取って葉を取り、茎を蒸して繊維を取る。今度は繊維を取った残りを炭にして、粉にする。火薬とその粉を混ぜたものが江戸花火で、それを上げると、大きな散発力を得られて夜空に大輪の花を咲かせるという。

 ただ麻の粉一㌧を作るのに、20町歩の畑が必要だという。うちは93%が山だから、20町歩というと智頭の畑という畑全部が必要になる計算だ。

 米国の製薬会社からも問い合わせが来た。麻は薬の原料としての効能があるという。日本の製薬会社からすると、今までは全部、輸入だったが、栽培が軌道に乗れば自国調達の道も開けてくる。

 また「私の夢は自分で麻を紡いで織物をしたい」という機織りをする東京の女性が、智頭に住み着いてその仕事をする。7月には安倍首相の昭恵夫人が視察に来る予定だ。自分もそういうのを山口でやりたいという。

 ――青年は大麻がもっている多様な価値を知っていて育成を始めようと思ったのか?

 そうだ。

 それで無茶なお願いをよくも聞いてくれた知事に「私が責任をもって彼に起業させます。麻の事業で5人でも10人でも雇用が生まれた時に、初めて彼を連れてお礼に行きます。それまでに彼を連れて行きません」と申し上げた。

 麻の栽培一つでも、いろんな道ができる。タブーである大麻栽培を、クリアしたらとんでもない世界が眠っていた。

 小樽にニシン御殿があるように智頭には大谷家の屋敷があった。町長は当主に頼み込んで一般開放してもらい、今では智頭観光の目玉に育っている。昭和18年生まれ。成城大学経済学部卒業。株式会社光南代表取締役などを経て鳥取青年会議所理事長や鳥取県智頭町森林組合理事、智頭町教育委員など歴任。過疎地を観光地に変えた実績から観光庁から観光カリスマにも選定される。智頭町町長。