「朝もぎの莢豌豆(さやえんどう)にある…
「朝もぎの莢豌豆(さやえんどう)にある重さ」(山口昌子)。親戚から若葉の季節にふさわしい野菜が送られてきた。グリーンピースに春タマネギである。段ボール箱を開けた時、その香りが辺りに漂ってきた。
土を付けたタマネギは、いかにも大地の栄養を吸い取ってたくましく育ったという存在感がある。皮をむくと、白い肌には命の輝きがはじけるようだった。
早速包丁で刻んで皿に盛ると、それだけで豊かな気分になる食卓となった。春タマネギは、苦みの中に甘みがあり、シャキシャキした食感も悪くはない。だが幼い頃は、あまりタマネギを好きではなかった。タマネギやネギ、ニラなどの臭いの強い野菜は食べられなかったのである。
それが大きく変わったのは、大学入学とともに上京し、自炊生活をするようになってからだった。受験によるストレスから解放されたこともあったのか、小食だったのが、ウソのように変わって大食漢になった。
仏教の禅宗などの寺院の門前に「不許葷酒(くんしゅ)入山門」と刻まれた石碑が建っていることがある。臭いの強い野菜を食べたり酒を飲んだりした者は修行の妨げになるとして、立ち入りを禁止するという意味である。
確かに酒の場合はその通りだが、ネギやタマネギまで禁じるのはどうか。もっとも臭いの強い野菜は精力や滋養を付けるものも多いので、それを避けたのかもしれない。また、集団生活では臭いというものも無視できなかったのだろう。