「朴槿恵大統領」まで青写真 注目続く鄭ユンフェ氏

韓国の“秘線実力者”

 他国の政治スキャンダルがこれほど関心を呼ぶことはそうそうないことである。韓国の「大統領府文書流出事件」だ。これは、朴槿恵(パククネ)大統領の関係者(民間人)が大統領府の人事に介入していることを示す文書がメディア(本紙姉妹紙世界日報(セゲイルボ))を通じて流れたことで、大統領との個人的関係や人事介入の度合いをめぐってこの“謎多い人物”に関心が集中したものだ。

 しかも、産経新聞ソウル支局長が名誉毀損(きそん)で訴えられ、「出国禁止」にまでされている原因がまさにこの人物であることから、否が応でも関心が集まるほかない。

 中央日報社が出す総合月刊誌「月刊中央」(1月号)がこの人物を取り上げている。「“秘線実力者”鄭ユンフェ・隠遁生活脱いで政治の前面に出るか」の記事がそれである。

 2004年に当時国会議員だった朴槿恵氏の秘書を辞めてから、「公開の席に出たことはなかった鄭氏の登場は世間の人々の大きな関心を呼んだ」と同誌は伝えており、同記事によって、これまで“タブー”とされ、秘密のベールに包まれていた鄭氏の姿が随分明らかになった。とはいえ、未(いま)だに謎が多い。同誌が伝える鄭氏のプロフィールを見てみる。

 本籍は江原道旌善(チョンソン)郡で1955年生まれ。ソウル鍾路区の保仁中学、保仁商業高校(現保仁高校)を1974年に卒業した。その後7年間は不明で、81年に大韓航空保安乗務員として入社するも、80年代後半に「退社した」という。

 中央日報とのインタビューで鄭氏は、「大学院まで卒業したが、具体的学歴を明らかにしないのは、不要な雑音を避けるため」と述べている。同誌は「93年3月、慶煕大経営大学院で観光経営学修士学位を受けた」としている。韓国では社会人になった後にも、大学院に入って学位をとることが多い。

 その鄭氏が政界や朴槿恵氏とつながりができた切っ掛けは、妻の崔スンシル(後に崔ソウォンと改名)氏との結婚がきっかけとなっている。妻の父親・崔太敏(チェテミン)牧師は70年代、朴槿恵氏の最側近だった。娘のスンシル氏も朴正煕大統領暗殺後、槿恵氏の「唯一の話し相手」だったという。崔スンシル氏が朴槿恵(パクチョンヒ)氏と鄭ユンフェ氏の「つなぎ役を果たしたという推論が出てくる所以だ」と同誌はいう。

 とはいえ、政治にかかわる前に鄭氏はさまざまな事業に手を染めたようだ。同誌によると、大韓航空退職後、コーヒーショップを経営し、コーヒーメーカーの輸入販売、体育関連用品の輸入販売、教育デジタルコンテンツ制作・流通・販売、図書出版などを手掛けている。その他には衣類家具の輸入販売、国外移住者の募集・斡旋・手続き代行・相談も行い、「江南に日本料理屋『風雲』を経営」したりもした。

 その鄭氏は、朴槿恵氏が98年の補欠選挙に立候補した時にともに政界に足を踏み入れた。周囲は彼を「朴槿恵議員秘書室長」と呼んでいたという。現在、大統領府で「3人組」と呼ばれている秘書官を当時、事務所に採用したのも「秘書室長」鄭ユンフェ氏だった。

 朴氏が国会議員に当選した当初から、「朴槿恵を大統領にする」のが目標だった。同誌は「最初からよく設計された青写真で国会に入り、参謀陣を構成し、青瓦台の主人を造り出した人物がまさに鄭ユンフェ氏だ」と断じている。

 こうした経歴は、鄭氏がいまは民間人でありながらも、大統領府に強い影響力をもっている理由を理解させるし、直接間接の影響力行使を勘繰らせる原因ともなる。

 朴槿恵氏にしてみれば、両親を暗殺で失い、大統領府を出されて“路頭に迷っていた”時期から、いわば家族ぐるみで付き合い守護してきてくれた崔太敏牧師一家の娘婿であり、その後、政界入り前後から苦楽を共にしてきた最も信頼できる“家族”でもある。だから、鄭氏に触れることは、朴大統領の「逆鱗に触れる」ことになるわけだ。

 同誌は、その鄭氏が今後国政に出るかどうかに注目しているが、「彼が公式活動を始めれば、崔太敏氏との関係、財産問題などメディアの検証が本格化することもありうる」として、「秘線」が表に出てくれば、「朴大統領に負担を与えることになる」と書いている。

 まだまだ鄭ユンフェ氏はメディアの目から逃れることはできないだろう。

 編集委員 岩崎 哲