北海道の歴史と文化を知るほっかいどう学(歴史・文化)を学ぶ会幹事長 井上和男氏に聞く

“学び”から交流の楽しさ実感

 生涯学習という言葉が使われて久しい。生涯かけて主体的に学習活動を続けていくことだが、行政も積極的に支援体制を構築している。そうした中で、北海道の歴史と文化を改めて勉強する市民団体がある。「ほっかいどう学(歴史・文化)を学ぶ会」(林芳男会長)がそれ。北海道の魅力、北海道の歴史や文化を知ることの意味などについて同会幹事長の井上和男氏に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)

幕末から明治に劇的変化/開拓者の足跡に魅力と感動

稲作適さぬ土地でコメづくりに成功

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400 ――最初に「ほっかいどう学」と「ほっかいどう学を学ぶ会」の関連性、そして同会がつくられた経緯についてお話しください。

 北海道教育委員会の生涯学習事業の一つに「ほっかいどう生涯学習ネットワークカレッジ事業」があります。その事業を通称で「道民カレッジ」と呼んでいますが、2001年9月からスタートしました。「『学びたいという意思』を持っていれば、誰でもいつでも入学できる「北海道の生涯学習の学園」として設立されました。具体的には産学官が連携して北海道各市町村内で行われている様々な学習機会を体系化することにより道民に学ぶ機会を提供し、学習講座を通して知識や教養を高めることで生き甲斐を持ち、地域に貢献していただきたいという願いが設立の趣旨になっています。

 道民カレッジの講座はいくつかのコースに分かれており、その一つに「ほっかいどう学コース」があります。ここでは、北海道の歴史や文化、自然や環境、生活や産業などについて学び、講座ごとに視聴した後リポートを提出することで単位が認定され、一定の単位を取得すると「道民カレッジ学士」などの称号が授与される仕組みになっています。

 ――「ほっかいどう学」とは道民カレッジが主催している学習コースの一つということですね。

 そうです。その道民カレッジの関連事業として「ほっかいどう学検定」があり、毎年1回実施しています。これは道民カレッジで主体的な学習によって培われた北海道の歴史や文化、自然環境などの各人の学習成果を評価するものとして行われており、平成20年10月に第1回の検定試験が行われました。この時は、1547人の受検者に対して1343人が合格しました。

 その翌年2月に検定合格者の集いが開かれたのですが、その際に検定合格者に呼びかけを行い、より深く北海道の歴史と文化を学習し、互いに交流しながら学習意欲を高めていくことを目的に「ほっかいどう学を学ぶ会」を立ち上げたのが会のスタートでした。会員による自主的な組織ですが、事務局は公益財団法人北海道生涯学習協会の中にあります。会員は当時は260人からの発足でした。ちなみに翌年、自然・環境をテーマにした「ほっかいどう学を学ぶ会」が発足しました。

 ――「ほっかいどう学(歴史・文化)を学ぶ会」の具体的な事業としては、どのような活動をされているのでしょうか。

 大きな事業として日帰りと1泊2日の年2回の歴史探訪バスツアーを実施しています。また、会員による年2回の研究発表会、そして年3回の会報の発行が主な事業になっています。バスツアーは第1回を平成21年10月に1泊2日で道南方面を訪れました。この時は「箱館戦争を巡る旅」と題して箱館戦争が舞台となった函館や江差、乙部などを回りました。以来、道北地方や胆振、積丹、後志など合計8回全道各地を訪問しています。机上での勉強と実際に現地で視察するのとでは知識の習得に大きな違いがあることが分かります。また研究発表会では、1人30分を持ち時間として3人が研究の成果を報告します。道庁赤れんが会議室などを会場として毎回100人前後の会員が参加しますが、聴き応えのある発表が多いです。また、会報は会員の情報交換の場として、会員が持つ様々な情報を発信することのできる媒体として提供しています。

 ――「ほっかいどう学」を学んで井上さんが感じる北海道の魅力とは何でしょうか。

 私は岐阜県で生まれて北海道にやってきたのは昭和60年の時。以来、北海道に住んでいますが、当時から北海道について知りたいと思っていました。その思いは「ほっかいどう学」で学んでみて、さらに強くなりました。

 歴史の勉強は単に過去を知ることだけでなく、過去をきちんと知ることで現在の立ち位置を認識し、未来を的確に予測することができます。そういう観点から北海道の歴史を勉強したいと思いました。

 そこで北海道の歴史を見ますと、もちろん古くは縄文時代から続縄文という本州にはない歴史を北海道は有していますが、活字として大々的に登場してくるのは江戸時代からです。とりわけ江戸時代末期から明治にかけて北海道は劇的な変化を遂げていきます。旧幕府軍が追われて蝦夷地に入り、そこで官軍との戦いに敗れ、代わって明治政府が管轄していく。伊達藩など幕府側についた藩は減封されて、彼らは北海道への移住を決意するわけですが、ある意味で北海道は敗者の逃げ場でもあったとも言えます。しかしながら、そうした移住者が開拓者となって新しい北海道を切り開いていきました。未開の大地が僅か150年足らずで、このように発展した歴史は世界中にないと思います。そういう意味で私は、北海道を開拓した江戸末期から明治にかけての北海道の歴史に、大きな魅力と感動を覚えます。

 ――北海道に長年住んでいても実際のところ、地元住民でも分からないことが多くあります。また、見つめ方を変えれば歴史的な出来事も別な側面が見えてきますね。

 「ほっかいどう学」では中学校や高校で習う歴史の授業からでは見えない世界を知ることができます。例えば、北海道開拓に当たって明治政府は米国から多くの学者や技術者を招いて新しい農業や土木技術を導入したといわれていますが、決して単純なものではなかったようです。例えば、農業一つを見ても、東京でまず官園をつくりそこで実験し、さらに道南に入って畑を耕し実証的なデータを取り、そこで栽培の見通しが立った作物を少しずつ実用化していくという手法が取られています。そのような栽培法はそれまでの日本では行われていませんでした。また、北海道は今でこそコメの生産量が日本一ですが、明治の初めは、稲作には天候上不適な土地でした。ホーレス・ケプロン(大通公園に銅像が立っている)など米国人の農業技術者は小麦を作ることを勧めたそうです。しかし、そうした稲作には適さない土地でも、北海道でも育つコメづくりに成功した人が明治初期にいました。そうした事実を知ることはとても大切なことだと感じます。

 ――今後、「ほっかいどう学を学ぶ会」はどのような方向に進むのでしょうか。

 これまで会員の入会資格は、「ほっかいどう学検定」に合格した人を対象にしていましたが、今後は間口を広げる意味で、受検の有無を問わず誰でも入会できるようにしていきたいと考えています。また、歴史探訪ツアーや研究発表会を充実させるためにも会員の皆様の意見を十分に聴きながら企画を立てていきたいと思います。小学生からお年寄りまで幅広い世代を対象に、北海道の魅力を感じてもらえるような企画をつくるために会員同士が情報を共有し、それらを道民に発信していけるようにしていくことができればと思っています。

 明治の開拓以降、北海道は政治、経済面で中央主導の政策に大きく影響を受けてきた。しかし、そのような苦難とも言える歴史の中にあっても、粘り強く生き抜き北海道をつくり上げていった先人がいることを井上さんは熱っぽく語る。昭和26年に岐阜県飛騨市に生まれ、41年に陸上自衛隊少年工科学校(現在の高等工科学校)に入学し、以来、陸上自衛隊のヘリコプターパイロットとして全国各地を勤務した。陸上自衛隊を退官後は、サッポロビール北海道本社営業部専任部長として勤務する傍ら、北海道の歴史と文化の発掘と情報発信に東奔西走している。62歳。