米国婦人福祉協会が視察旅行

在沖米軍の妻たちのボランティア組織

 在沖米軍の軍人・軍属の妻たちのボランティア組織、米国婦人福祉協会(AWWA=メーガン・ウォルシュ会長)は設立から42年間で累計8億円もの寄付を日米両国の諸団体・個人にしている。このほど、AWWA会員は沖縄本島で視察ツアーを行った。日米両政府が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の代替地として決定した名護市辺野古地区の施設では、視察団は大歓迎を受けた。米軍と共存・発展したいというのが米軍所在地域の住民の素直な思いだ。(那覇支局・豊田 剛)

42年間で8億円以上寄付、辺野古でも大歓迎

米国婦人福祉協会が視察旅行

なごみ園前で記念撮影した米国婦人福祉協会会員と家族ら=6日、名護市

 10月6日、AWWA会員25人が嘉手納基地を出発して寄付活動のための視察ツアーを行った。

 最初の訪問先は、名護市の児童養護施設「なごみ」。日米両政府が米普天間飛行場の移設先と決めた辺野古地区にある。保護者のいない子供や虐待・無視されている子供ら2歳から18歳まで35人が入所している。

 米海兵隊キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)とキャンプ・ハンセン(金武町(きんちょう))ともに近いため、海兵隊員が定期的に施設を訪れ、草刈りなどの清掃活動を行うほか、一緒に遊んだりバーベキューをして時間を過ごしている。また、施設の子供たちは基地に招待されており、9月にはキャンプ・ハンセンのプールで泳いだ。

 施設には雨天で使える大広間がなく、子供たちの心理カウンセリングや宿題をする場所が不足している。石川正紀施設長は中庭に屋根を付けて多目的ルームにしたいと考えており、予算見積もりは400万円だという。

 「県や市からの十分な補助がないうえ、建物のローンがあと5年あるため、自由に使える財源がない」。こう話す石川施設長は昨年12月、AWWAに協力依頼を出した。施設の実態と要望内容を把握するのは、今回の視察ツアーの目的の一つだ。

 AWWAが年間、1施設に寄付できる金額は200万円が限度だが、会員のシルビア・ブラックさんは、「知人友人に声を掛け、要求に応えられるよう英知の限りを尽くす」と話した。

 石川施設長は以前、うるま市の障がい者支援施設「れいめいの里」の責任を持っていた当時、AWWAに大型乾燥機とショベルカーを寄贈してもらった経験がある。AWWAのスピーディーな対応に敬意を表している。

 引き続き、視察団は、読谷村(よみたんそん)のゆいまーる食堂で昼食を取った。身体・知的障害者(成人)を支援しているレストランで、店員から厚い歓迎を受けた。

 一行は午後、米陸軍トリイステーション(読谷村)近くの社会福祉施設「よみたん救護園」を訪問した。約100人の成人が入所している同施設では、病院への移動手段としてワゴン車が必要という痛切な訴えを聞いた。

 寄付先は本島のみならず、宮古島、石垣島、西表(いりおもて)島などの離島も含む。AWWAは毎年2月、宮古島などの離島を訪問するのが恒例になっている。今年は16カ所訪問したが、空港をはじめ、行く先々で大歓迎を受けたという。

 最近では、難病患者とその家族を支援する那覇市の団体に、重度障害者用意思伝達装置2台を寄付。心臓移植が必要な中学生にも多額の寄付をした。

 東日本大震災では被災地にも義援金を送った。また、在沖米海兵隊が災害支援をした宮城県気仙沼市大島の子供たちとその保護者が来沖した際の交通費を支援。子供たちの滞在を受け入れるホストファミリーになった。

 今年9月、新会長に就任したばかりのウォルシュさんは、「活動を通して地域住民と幅広い交流ができるだけでなく、ニーズに応えることができてうれしい。今回の要請は早期に実現させたい」と話した。


米国婦人福祉協会(AWWA)

 1952年、琉米福祉協議会として発足。当時は沖縄と米国の女性で構成されていた。沖縄が返還された1972年、米国婦人福祉協会(AWWA)に改変され、参加資格は軍人軍属の妻に限定された。AWWAは現在、在沖米4軍(空軍、海軍、陸軍、海兵隊)の基地内に六つの婦人団体を傘下に持ち、リサイクルショップやギフトショップを運営。その売り上げを寄付金に充てている。

 福祉施設を中心に過去42年間、日米両国に8億円以上の寄付をしている。主な支援実績は、介護ベッド、洗濯機、乾燥機、車両などの購入。さらには、施設の増改築、留学支援も行う。また、11月恒例、米空軍嘉手納基地で開催される知的障がい者のスポーツの祭典「スペシャル・オリンピックス」を全面的に支援している。