「会津朝日岳は、昭和三十八年九月に只見線の…
「会津朝日岳は、昭和三十八年九月に只見線の大白川―只見間が結ばれるまでは、本州最奥に位置する山の一つであった」と南会津山の会の山田哲郎さんは記している(『静かなる山』茗渓堂)。
この山は福島県只見町にあり、中部山岳に比べると登山の対象となったのは遅く、他の山地では薄れた原始性が彼らを魅惑したのである。この原始性は今日でもそれほど変わってはいない。
南会津の山々に魅了された登山家の池田知沙子さんは「月が出て、星が出て、焚き火が本気で燃えておいしいお酒を飲んだよ。/ここは、ここのことは内緒にしたいぐらい、ロマンチックなブナの森だ」と絶賛した(『みんなちさこの思うがままさ』山と渓谷社)。
只見町と檜枝岐(ひのえまた)村の一部が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の生物圏保存地域「エコパーク」に登録されて2カ月が過ぎ、この夏はブナの天然林を求めていつもより多くのハイカーが訪れている。
エコパークは「人間社会と自然環境の共生を実践するモデル地域」。会津朝日岳など貴重な自然が対象となる核心地域と、それを保護する緩衝地域、そして人間の生活圏である移行地域から成る。
只見町は平成19年、日本の自然の中心は只見であるという「自然首都・只見」を宣言。それを具体化させるためにエコパークに取り組んできた。町は高齢化、過疎化が進んでいるが、今、新たな未来像を描こうとしている。