8月15日を前にしたある日、テレビ画面で…


 8月15日を前にしたある日、テレビ画面で米国のB29爆撃機を「Bにじゅうきゅう」と読んだアナウンサーを見かけた。民放の若い男性のアナウンサーだった。いささかの違和感を覚えたのは、あの爆撃機は「Bにじゅうく」でなくてはならず、間違っても「にじゅうきゅう」とは呼ばない世代が今も確実に存在するからだ。

 7人を「しちにん」と読むか「ななにん」と読むかで世代が分かれると言われる。赤穂浪士四十七士を「しじゅうしちし」と呼ぶか「よんじゅうななし」と呼ぶかの違いも世代の分岐点を示す。

 と言って、「Bにじゅうく」でなくてはならない、と言うのではない。呼び方や読み方は、時代によって変わるのが当然だからだ。

 戦争当時の正式呼称だった大東亜戦争は、戦後は太平洋戦争と呼ばれるようになった。最近では第2次世界大戦ということも多い。

 歴史はその程度には変わっていくものなのだから、「Bにじゅうきゅう」ぐらいどうということはないのかもしれない。B29が、原爆投下や全国各地の大空襲に関わった重要な軍用機である歴史的事実に変わりはない。

 「歴史の継承」とよく言うが、歴史は細かいところから変化するようだ。イデオロギーよりも、言語を含む日常生活によって変わる場合がある。その積み重ねが、いずれ歴史の全体像を変えてしまうことさえありうる。「歴史の継承」は、口で言うほど簡単なものではなさそうだ。