元広島監督、古葉竹識さんが85歳で死去
求心力と情の「古葉野球」、選手もファンも大切にした名将
勝利にこだわる一方、グラウンドを離れれば選手やファンを思いやる―。12日死去した古葉竹識さんは、勝負師であり人情家の名将だった。
1975年の開幕直後。ルーツ監督の退団で突然、監督就任要請を受けたが、驚きや戸惑いはなかった。「引き受けたからには自分のやりたいようにやる。それで駄目なら責任を取る」。覚悟を決めた青年指揮官に率いられ、広島は悲願のリーグ初優勝。「弱小球団」の汚名を返上してみせた。
のちに古葉さんが「カープ史上最強」と振り返ったのは山本浩二、衣笠祥雄、高橋慶彦、江夏豊、池谷公二郎、北別府学ら79、80年連覇のナイン。ずらりとそろった個性派が、古葉さんの求心力によって勝利へ向かって突き進んだ。
2008年12月。広島市民球場の最後を飾る歴代OBのイベントでファンが差し出す色紙にペンを走らせ、「本当にうれしかった。1時間半かけてサインをしたよ」と感慨に浸った。
その年、古葉さんは東京国際大の監督に就任している。大洋(現DeNA)の3年も合わせてプロで14年間指揮を執り、古希も過ぎて新たな道を選んだのは、「プロを目指す選手の手助けができれば」と願ったからだ。
自らは専大を中退して社会人の日鉄二瀬に入ったが、「家庭の事情もあって、何としてもプロ野球選手になりたかった」。先輩たちの縁を得て広島に入団でき、今日がある。だから、熱意のある学生を後押ししたかった。
東京国際大が所属する東京新大学リーグに東京六大学や東都大学のような華やかさはない。古葉さんは球場に足を運んでくれた人たちに「また見に来てください」と言って、握手を繰り返した。
11年春、リーグ戦初優勝を果たした。「六大学や東都を倒して大学球界でも頂点を極めたい」と勝利を追求しつつ、「常に礼儀正しく、社会に出ても周囲から喜ばれる人に」と願った古葉さん。その思いは多くの教え子に受け継がれていく。