鳩山政権普天間移設案を解決寸前と特集した「報ステS」の羊頭狗肉

◆「腹案」の存在は意外

 テレビ朝日が1月26日に放映した「報道ステーションSUNDAY」の中に、「“幻”の普天間移設案」という特集があった。在沖縄米軍普天間基地の辺野古移転については昨年12月に政府と沖縄県が合意、長年の懸案に安倍政権が実行力を示したわけだが、1月19日投開票の名護市長選では移設反対派の現職・稲嶺進氏が再選。改めて難題を浮き彫りにした。

 このタイミングで番組が、普天間移設問題の解決に「限りなく近づいたことがあった」と前置きし、それが「意外にも鳩山政権末期のこと」というのだから、確かに意外だ。果たして解決に限りなく近づいたかどうか、引き込まれる。

 その案件は、2009年9月から10年5月まで政権にあった鳩山由紀夫首相の下で行われた、軍事アナリスト・小川和久氏と当時民主党国際局長の藤田幸久氏による「水面下の交渉」だった。「昨年暮れ小川氏はこの水面下の交渉を論文にまとめた」ことで日の目を見たわけだ。

 番組は小川氏、藤田氏および鳩山由紀夫元首相にインタビューした。言うまでもなく鳩山氏は政権交代となった09年衆院選で「最低でも県外」と普天間基地問題について訴え、首相に就任した当事者だ。沖縄県民は熱狂し、反米反安保の社民党も加わった鳩山連立政権は自民党中心の政権から受け継いだ辺野古移設の日米合意をいったん白紙にし、見直しに着手した。

 特集で扱ったのは小川氏が提示したキャンプ・ハンセンへの移設案。これが当時、有無をめぐり耳目を集めた鳩山首相の「腹案」だったのである。が、特集はじめに「バッカヤロウ」とインタビューで苦笑する小川氏のカットを入れた意味が分かる結論部を見れば、解決寸前と言うより迷走した顛末(てんまつ)の検証である。

◆軍事的観点から提起

 なぜなら、鳩山政権当時に普天間基地移設先の代替案をめぐってはキャンプ・ハンセンも含め嘉手納基地、奄美大島、グアム島までいろいろ取り沙汰されたが、結局は元の辺野古案に戻った。

 番組インタビューで小川氏がキャンプ・ハンセンを移設先に提案した理由は、①4万~5万人の海兵隊地上部隊の装備を集積するスペースが辺野古にはない②辺野古の1800㍍滑走路では大型機が離着陸できない③キャンプ・ハンセンには沖縄戦で米軍が造ったチム飛行場跡地があり、これを再利用すれば経費が安く期間は早く移設計画を実行できる――などだった。

 普天間基地周辺住民の危険除去に際して、軍事基地の移転は軍事的観点から論ずる問題提起をしたと言えよう。

 この小川氏の案に鳩山氏が「大変魅力的な案」と関心を示し、首相補佐官の役職で交渉に当たらせようとしたが、情報がマスコミに漏れることを懸念した小川氏は任官を断り、小川氏、藤田氏、日本大使館職員と米国側と交渉に当たったという。この経緯について、番組では「密使」のような特命ミッションとして取り上げるのだが、大使館職員が随行して交渉内容を東京に報告すれば外務省はじめ政府・関係省庁に知れるわけで、半ば公然の活動と言えまいか。

 ならば、民主党政権の動きは霞が関の官庁の手のひらにある。番組からも、初めは日本の政権交代の現実を受けとめるとの米国側の好意的反応が、「小川案に一本化してほしい」、「実務者協議に降ろさなければならない」と、変化していったことが伝わる。番組インタビューに応じたケビン・メア元米国務省日本部長に至っては、「日本政府を代表しているとは思いませんでした」と素っ気なかった。

◆生々しい交渉の挫折

 しかも、小川氏らを米国に派遣して交渉に当たらせていた鳩山首相は10年5月4日に沖縄訪問先で「学べば学ぶにつけ…」と発言し、辺野古案に流れた。訪米先でインターネットでこのニュースを見た小川氏が「バッカヤロウ」と怒ったというインタビューが状況を生々しく伝えていた。

 あっけない交渉の挫折にもかかわらず、番組が「解決に限りなく近づいた」と触れ込むのは、取材過程で米国側は必ずしも辺野古にこだわっていなかったと結論したことと、名護市長選結果に便乗し辺野古移設を利権による打算と批判的にメッセージすること、また、「脱官僚依存、政治主導」を掲げた民主党の公約が念頭にあったのだろう。

 しかし、インタビューで当の鳩山氏は「辺野古以外の選択肢を外務省や防衛省から提示されたことはなかった」と答える官僚依存ぶり。官僚側の巻き返しの強さと無理な公約が改めて印象に残った。

(窪田伸雄)