「安楽死問題」について結論を出せないで、両論併記に終わった新潮

◆嘱託殺人の罪で逮捕

 全身の筋肉が動かなくなる神経難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性が、薬物投与による「安楽死」を遂げ、医者2人が嘱託殺人罪で逮捕される事件が起こった。

 週刊新潮8月27日号の連載「医の中の蛙」で、医師の里見清一氏は「この医者二人には尋常でないところがあり、マスメディアはその『異常さ』を糾弾するのだが、本題の安楽死についてはまともに触れていない」とし、「『そんな医者』に頼ってまで死にたかったこの女性の希望は叶えられるべきなのか」と問うている。当然の疑問だろう。

 1991年に東海大学で末期がんの男性を死なせた事件の判決で、何らかの手段を用いて「死なせてしまう」積極的安楽死を許容する4要件が提示された。里見氏はそれに照らして今回の事件の被害者のケースを分析している。

 「その1は『耐えがたい肉体的苦痛』だが、本件では(中略)『精神的苦痛』を訴えていた」。「その2は『死期が迫っている』だが、(中略)そこまで切迫していなかった」。「その3は『苦痛を取り除く他の手段がない』であるが、これが難しい。(中略)何をもって『手段が尽きた』と判断するかは不明確」。「その4は『患者の明確な意思表示』である。これについては、手を下した二人が主治医ではなかったなどの齟齬を指摘する向きもあるが、実際問題としてはほぼクリアしている」という。

◆癌の場合と違う事件

 これを見ると、被害者の女性の場合、安楽死の要件を満たしていないと思われる。だが、里見氏はそうは見ないで、この4要件はあくまで「癌を念頭に置いたもの」で、「ALSや多系統委縮症の患者は、安楽死の要件に該当しない」と断じている。達見だ。「神経難病の患者さんたちはむしろ、『なかなか死ねない』のが苦痛なのだ」と。

 しかし里見氏の論の展開もここまで。ALSなどの難病と安楽死の関係については「安楽死の要件を緩めるべきかというと、そう簡単にはいかない」と述べるにとどまる。特に日本の場合、「ALS患者に『死ぬ権利』が認められ、それを実行すれば(中略)他のALS患者に対して『あんたも安楽死したらどうか』という一種の同調圧力が(中略)加わる」ことを憂慮する。

 それでは、この記事を載せた週刊新潮本体の、事件についての見解はどうか。号を遡(さかのぼ)って探すと、8月6日号に「嘱託殺人の被害者が私に吐露した『生き地獄』」と題した特集記事がある。生前の被害者女性とツイッターでやりとりした女性の証言だ。

 この女性もALSに似た難病の患者で、「林さん(注・被害者の苗字)はまだ治療法が確立されていないALSを患って苦しみ、“死にたい”と強く願っていました。(中略)振り返ってみると、この“事件”が起きたのは当然の流れだったように思えるのです」「亡くなる直前には“いますぐ死にたい”と頻繁に書き込むなど、心身ともに参っているようでした」と明かす。

その上で、『安楽死で死なせてください』の著者で、脚本家の橋田壽賀子さんの「(前略)たとえば本人と家族の意思を確認し、医者や弁護士などの審査を経て許可が下りれば安楽死が認められる。そうした選択肢も考慮すべき(後略)」というコメントを載せている。

 他方、日本ALS協会の会長の嶋守恵之氏は「難病患者の死ぬ権利についての議論には不安を覚えます。生きるための励ましや社会支援がおろそかにならないか心配だからです。難病患者でも生きられる環境を整えることが大切だと思います」と。難病患者の安楽死の是非について、記事は両論併記のかたちだ。

◆安楽死議論鎖す社会

 リード文で「『事件』が日本の闇を露わにする」と深刻ぶるが、最後は「問題への理解を深め、血の通った議論を進める努力は必要だろう」の一文で締めている。自ら闇を切り開いていくつもりはなさそうだ。

(片上晴彦)