金正日・正恩親子の素顔

時代背景が全く違う両指導者

 北朝鮮の世襲独裁者・金(キム)正恩(ジョンウン)労働党委員長の人物像が伝わる記事が新東亜(8月号)に出ていた。南北会談の実務に関わってきた金(キム)基雄(キウン)元統一部南北会談本部長へのインタビューである。金氏はこれまで680回行われてきた南北会談のうち300回に参加してきたベテランだ。「現場を長らく経験した人だけが話せる北朝鮮の内部」を紹介している。

 この中で興味深いのは金正恩氏の「父親像」だ。父親とは金(キム)正日(ジョンイル)総書記のこと。正恩氏は2019年の金剛山(クムガンサン)現地指導で、「先任者らが国力が弱い時期に他人の助けを受けようと誤った政策を行った」と述べた。父・正日氏を批判したのである。そして、南北交流事業の象徴である金剛山の施設を「こんな南側が造った醜悪なものは全部破壊して取り除け」とまで指示している。

 ただ金元本部長は「2人の人生は完全に違う」と説明する。正日氏は「統治期間、ずっと体制が崩壊するかもしれないという恐れに苦しめられた」。南では五輪が開かれ中国もソ連も参加し、その後ソ連が崩壊、東西ドイツが統一された。社会主義陣営が崩れていき、南北は国連に同時加盟した。国内にあっては水害や飢饉、経済政策の失敗で「苦難の行軍」を余儀なくされた。

 金元本部長は「『先軍政治』とは不安感から始まった危機管理体制だ」と説明する。「一つの朝鮮」原則を曲げて、国連同時加盟したことが「最大の屈辱的なこと」だったという。「金正日の内面はとても揺れて複雑だっただろう。内部でも反対が激しかったものとみられる。いずれにせよ、金正日は本当に難しく生きた悲運の指導者だ」と回顧した。

 それに引き換え、正恩氏のスタート地点は全く違った。「経済はだいぶ回復した状態であり、核開発も進展していた」時期に留学先から戻り、帝王学を学んでいった。

 そこで目に映ったのが祖父の金(キム)日成(イルソン)主席だ。「世界では社会主義圏の指導者であり、国内では人民から慕われた」偉大な祖父だった。一方、父・正日氏は「発展する韓国に途方に暮れ、公開活動もせず、隠遁(いんとん)していた」姿として記憶された。

 正恩氏が権力を握ったのは「中国は高度成長、軍事大国化し、米国の勢いが弱まり、中国が強くなって」いった時期だ。「何よりも核を持った」し、「朝鮮半島の主人は自分だ」と考えても無理はなかった。

 2人の生きた時代が違い、世界情勢も違った。世界は今、正恩氏と交渉せざるを得ず、彼のキャラクターがどう形成されていったかを知るのは無駄なことではない。金元本部長の話は貴重だ。長大で多岐にわたるインタビューは情報の宝庫である。

 編集委員 岩崎 哲