中曽根元首相死去、各紙が社説・コラムでユニークかつ味のある評価
◆後世に役立つ回顧録
「晩年、回顧録を次々と執筆したことは評価すべきだ。同世代の政治家が先立ち、自分に都合よく歴史を上書きしているとの批判もあったが、後世の歴史家に役立つ手掛かりを残した。これからの首相も見ならうべきだ」(日経30日付社説、以下各紙同)
「今の政治家とは比べものにならないほど勉強家だったことはもっと広く知られていい」(産経・主張)
「政治の生の変化に対応する姿勢は時に『風見鶏』と皮肉られたが、戦後政治に対し、新たな針路をもたらしたのは確かだ」(毎日・社説)
中曽根康弘元首相が11月29日に、101歳で死去した。1982年11月から「戦後政治の総決算」を掲げ5年間にわたり首相を務め、国鉄の分割・民営化で今のJRとするなど行財政改革を行い、外交では強固な日米関係の構築と防衛力の充実に動くなどして、それが冷戦終結に寄与することになった。首相在職は戦後5番目に長い1806日、衆院議員としては2003年の引退まで連続20回の当選を重ね、こちらの在職期間は56年に及んだのである。
各紙は翌30日付で社論(社説、主張)を掲げ、毎日(余祿)、日経(春秋)は同日に、産経(産経抄)は翌日に1面コラムでも掲載した。冒頭はそれぞれ中曽根氏へのユニークな評価の一端である。
◆大統領的な手法駆使
中曽根氏が「戦後政治の総決算」を掲げた政権運営で評価したのは、内政では国鉄、電信電話、専売の3公社の民営化を断行した行財政改革を特筆した。産経は「多くの抵抗を排して、国鉄の分割民営化や電電公社、専売公社などの民営化を実現した。経済や国民の暮らしを伸ばす意義があった」と認めた。毎日は「行革で大きな成果を残した。/なかでも、特筆すべきは国鉄改革だ。累積債務が37兆円を超え、国の財政を圧迫する大きな元凶だった」「不動産バブルへの道を開いたとの指摘もあるが、民間活力重視の流れは、小泉純一郎、安倍晋三両内閣の経済政策に引き継がれている」と改革が時代の要請だったと評価した。
小紙も同様に「巨額な累積債務を解消するとともに、公然と社会主義革命を主張した過激派セクト組合員を抱えた約19万人の労組を壊滅状態に追い込んだ」こと、読売は3公社を民営化した「トップダウンの手法で政策を決定しつつ、時に民間の有識者も活用した。大統領的な手法はその後、多くの政権が踏襲している」などと今日的意義にまで言及して高い評価を示した。
また外交面では「強固な日米同盟の礎を築いた功績は大きい」(読売)と評価。これがベースにあったから当時、米ソの中距離核戦力(INF)削減交渉で、レーガン米大統領に要請してソ連のSS20ミサイルの「欧州全廃」だけでなく「アジア全廃」も実現させたことも高く評価されていい。「指導力を発揮してリアリズムに基づき日本の平和、安全保障を追求し、冷戦終結や核軍縮に貢献した」(産経)からだ。
◆分別ある現実主義者
一方で、そのリアリズムにユニークな評価をしたのが日経と毎日である。冒頭のように評価する日経は「やりたいこととやれることをきちんとわきまえた現実主義者でもあった」として「首相に就くと、『憲法改正は政治課題にのせない』と表明し、護憲勢力に肩すかしを食らわせた」。靖国神社への公式参拝の強行では「近隣諸国とのあつれきを考慮して翌年以降はやめたのも、理想を掲げつつ、現実を直視した中曽根政治を象徴するエピソード」だと言う。そして「『大統領的首相』を標榜し、民意に敏感な政治スタイルは、その後の歴代内閣に大きな影響を与えた」「『劇場型政治』のルーツともいえるかもしれない」と説く。なかなか味のある見方と言うべきか。
同じ靖国参拝見送りについて毎日は、改憲への間合いへの言及に絡めて「憲法改正を早くから掲げ、『青年将校』などと呼ばれることもあった。だが、首相在任中はその時にあらずとして無理押しをしない柔軟性も見せた」と褒める。安倍首相への当てつけだとしても、メディアの責任として、一つの見方を示しているのは立派である。
朝日は社論を掲げないのが社論だと言いたいのだろうか。
(堀本和博)