グローバル化時代に世界史と宗教理解の必要性を強調する東洋経済

◆世界の常識から孤立

 かつてプロイセンの宰相ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という名言を残したが、現在ほど歴史への理解が求められている時代はない。英国の欧州連合(EU)離脱問題や米中貿易戦争にみられる両国の覇権争い、さらには中東情勢など難題が山積する中で、その解決の糸口を「歴史」に求めるのは至極当然のこと。

 まして現在、世界各地で生じている民族紛争の背後に大国の思惑や宗教的軋轢(あつれき)が絡んでいるとなれば、表層的な歴史理解で済む話ではなく、各宗教の起源や民族対立の構造、また、地政学的視野を持って世界を見詰める必要があるというもの。しかしながら、こうした世界史への関心、また宗教への理解が極めて薄いのも現代日本人の特質であって、これが日本人をして世界の常識から孤立させる要因になっているとも言えるのである。

 そうした中で、東洋経済が12月7日号でこの「世界史」と「宗教」に焦点を当てて特集を組んだ。そこには「ビジネスマンのための世界史&宗教」と見出しが付く。リードには「世界への想像力を高めるのに最適なのが歴史だ。国家、政治、経済、社会、文化のありようをたどることで現在と過去の連続性を理解できる。…。もう一つ世界を理解するのに好適なのが宗教だ。人間の内面を照らし、信条や思想を形づくる宗教への理解は、グローバル化の時代だからこそ必要になる」と綴(つづ)られ、世界史と宗教への理解の必要性が強調される。

◆明朝に相応する中国

 そこで同号は、第1部と第2部に分けて特集を組む。第1部は世界史を中心に、そして第2部は宗教をテーマに論じている。第1部で興味を引くのは、岡本隆司・京都府立大学文学部教授の「中国 大矛盾の歴史」と題する論文であろう。新疆ウイグル自治区の弾圧問題や香港の大規模な民衆のデモなど現代中国が抱える課題が浮き彫りになっている昨今、同教授は現在の習近平体制がかつての明朝に相応していると説く。「明朝の面白さはイデオロギーによる原理的な政策を徹底的に実施したことだ。例えば『一君万民』という体制理念にすこぶる忠実であって、一人の天子が社会全体に支配する構想を打ち出した。中国共産党の一党独裁の起源をここに求めることもできるだろう」と指摘。

 さらに、「明朝は(打ち出す政策が)現実にあっていなくとも、自分たちのイデオロギー体制を崩さなかった。…。帝国主義時代にはネーションの形成を目指すしかない状況にあったが、今はどうか。国民国家の限界が世界的に露呈している。それでも国民国家の建設という道を選ばざるを得ないのが、(今の)中国の抱えるジレンマなのだろう」と強調。仮に技術革新で生産条件が改善されたとしても、力量を増した民間をうまく統御できなかった明朝のように、現在の中国共産党もまた、同じ道をたどる可能性が高いと岡本教授は指摘するのである。

◆見逃せぬ宗教的復興

 一方、第2部では、キリスト教やイスラム教、仏教などの教義の概観にかなりスペースを置いている。気になったのが宗教学者と言われる中村圭志氏の論文である。同氏はその中で、「現在の世界の大きな動きの一つとして、無神論の台頭が挙げられる。…。その背景にあるのは、宗教テロへの嫌悪やフェミニズム、LGBT(性的少数者)などの人権意識かもしれない。…。無神論“運動”が大々的に立ち上がること自体は、キリスト教的西洋の文化的特徴と言えそうだ」と述べている。

 確かに現代社会にあって無神論はポピュリズムの様相を呈しながら世界的な広がりを見せている。しかし、無神論的傾向は今に始まったことではなく、近世に入ってから顕著になってきたことである。その一方でピューリタニズムの勃興といった宗教的リバイバル運動が起こってきたことも事実である。むしろ、そうした宗教的リバイバルが新しい歴史をつくってきたということも見逃してはならないだろう。

(湯朝 肇)