日本人拘束は小さく、解放は大きく扱う朝日はまるで中国の機関紙

◆二重基準露わな朝毎

 新聞はニュースの順位付けをする。1面に載せるのは重要なニュース、さほど重要でなければ中面や短報。そんな具合に振り分ける。紙面という限られたスペースと、日刊なら1日という区切られた時間枠の中で、ニュースの意義付けを行い、「注目の枠組み」(米政治学者ラスウエル)を作り出す。むろん、そこには新聞社のモノの見方、考え方が反映する。

 朝日の場合はどうか。16日付1面肩に「中国、北大教授を解放 日本に帰国 『反スパイ法』で拘束」との見出し記事が載った。9月から中国当局に拘束されていた岩谷將・北海道大学法学研究科教授が解放され、帰国したというニュースである。産経を見ると1面トップ。扱いに差があるとはいえ、いずれも1面モノ、つまり重要ニュースとして扱っている。

 さて、ここで首を傾(かし)げた。北大教授が中国に拘束された時の第一報がまるで違っていたからだ。産経は10月19日付の1面トップだったが、朝日は社会面で本文はわずか27行。朝日にとって日本人が拘束されたのは小記事、中国が解放したのは重大記事か。これではまるで中国の機関紙ではないか。

 その後の各紙を見ると、産経が光っていた。10月21日付主張で「重大な人権侵害で言語道断だ。日本政府は、一刻も早い男性教授の解放を求めねばならない」と訴え、王岐山国家副主席が天皇陛下の即位の礼で来日した際には「(安倍晋三首相が)前向きな対応を強く求めた」(同24日付)と注視した。

 他紙では日経が11月3日付社説で「北大教授の拘束を憂慮する」とし、読売が7日付社説「日中関係 真の改善へ懸案に向き合え」で取り上げ、北大の地元、北海道新聞は遅まきながら12日付社説で「中国政府は早期解放を」と訴えた。

 ところが、朝日は鈍かった。社説で取り上げることはついぞなかった。5日付社説で中国共産党会議を論じたが、教授拘束については一字一句もない。毎日も同様だった。日頃、人権を声高に叫ぶ両紙だが、日本人の人権には疎く「二重基準」が露(あら)わである。

◆編集委員らは問題視

 もっとも朝日に教授拘束の記事がなかったわけではない。10月26日付コラム欄で吉岡桂子・編集委員が「改革派の研究所閉鎖 中国の弾圧、ひとごとでない」とし、「習氏も来春、来日する予定だ。ならば今こそ、日本政府は中国の言論や人権の問題に目を向け、意見を言うべきだ。それは、日本人の安全にも深くつながっている」と訴えている。

 また11月1日付投稿欄で高原明生・東大教授が「日本人研究者拘束 学界衝撃 日中交流に暗雲」と題し、「近年13人の日本国籍の男女が中国で拘束され、逮捕、起訴されて実刑判決を受けるなどしている。…この状態を放置したままで、来春の習近平国家主席来日を歓迎できる雰囲気が果たしてつくれるだろうか。関係方面に強く問いかけたい」としている。

 このように編集委員や学者が問題視しても、朝日は社として動こうとしなかった。産経や日経、北海道新聞のように社説を掲げることもなく、読売のように社説の中で論じることもなかった。これが朝日論説陣の体質か。

◆「政治3原則」今も?

 朝日の中国報道の疑惑の根は深い。1967年に毎日、サンケイなどの中国特派員が文化大革命を中傷したとして国外追放されたが、朝日は免れ、文革賛美記事を書き続けた。68年には政治3原則で「報道の自由」を売り渡した。3原則は①中国敵視政策をとらない②2つの中国の陰謀に加わらない③日中国交正常化の回復を妨げない―というもので、朝日はこれを受け入れて特派員を送り続けた。

 こうした中国との約束が今も生きているのだろうか。とまれ朝日の「注目の枠組み」は限りなく中国に寄り添っているのである。

(増 記代司)