北朝鮮の「水爆」実験、70年代から開発に意欲?

金第1書記 権力固めに自信

 北朝鮮による「水爆実験」と称した4回目核実験の衝撃が世界を駆け巡っている。北の主張通り「水爆」なのか、本当に「成功」したのかについては懐疑的な見方が多いが、水爆開発への意欲はかなり早い段階から持っていたようだ。日本をはじめ周辺国は対北抑止の見直しを迫られる事態だ。(ソウル・上田勇実)

800

6日、韓国ソウルで、水爆実験の実施を伝える北朝鮮のテレビ報道を見る人々(EPA=時事)

 「70年代前半、平壌では米国が水爆実験に成功したという噂が広がり、誰もがそれを知っていた。今思えば、それは米国を非難したり米国に手も足も出ないと住民に思われてもいいという意味ではなく、われわれもそれに対抗する道を行くという決意の表れだったのではないかと思う」

 中学生の頃、平壌で「水爆」という言葉を初めて耳にした高位脱北者はこう述懐した。70年代前半といえば最高指導者・金日成主席の息子、金正日氏が労働党中央委員会の要職に次々に就任し、後継者として事実上推戴された時期だ。

 父親の核開発路線を踏襲するだけでなく、それをより高いレベルで国内外に誇示したい――。そんな金正日氏の野心が背後にあった可能性がある。

 それから三十数年後の2009年、労働党中央委員会が2月26日付の全党員向け極秘書簡で「世界は、これまで見も聞きも予測もできなかった核武器よりも恐ろしいウリ(われわれ)式打撃力を見るようになるだろう」と伝えていたことが北朝鮮の内部事情に詳しい消息筋によって分かった。(同年2月28日付本紙既報)

 「核武器よりも恐ろしいウリ式打撃力」が何を意味するのかはいまだ定かではないが、当時、韓国の核専門家は北朝鮮が欲を出すとすれば「第2世代の水素爆弾」との見方を示していた。この時期はその約1カ月前に韓国大手メディアが「金正恩氏が後継者に決まった」とスクープしたばかりだった。

 金日成主席から金正日総書記へ、金総書記から金正恩第1書記へと最高権力が世襲される過渡期に新たな後継者が同様に水爆開発に意欲を示したとすれば、単なる偶然の一致と見過ごせる問題ではない。

 北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは今回の核実験を金第1書記が「承認」したとする直筆とみられる指示文書を公開したが、そこで金第1書記は自らを「党中央」と呼称した。「党中央」は金総書記が自らが最高指導者であることを対外的に示して使った隠語であるが、それを金第1書記が今回これ見よがしに使った。「いよいよ親の七光りから抜け出すという自信の表れ」(元韓国政府系機関関係者)と言える。

 今年5月には36年ぶりの第7回党大会が開かれる予定で、金第1書記はこれを利用し権力固めをするとの観測が韓国では広がっている。「党中央」の名で「水爆実験」を命令し、「成功」を発表したのもその一環だとする見方が出ている。

 また金第1書記の指示は北朝鮮の「軍需工業部」が水爆実験の準備が完了したとする文書の上に書かれており、韓国連合ニュースは「これまで経済制裁などを意識して機械工業部と名称変更していた核開発担当の軍需工業部の名を再び登場させたのは、国際社会の目を気にしないで核開発を続けるという意思」と報じた。金第1書記の強気な一面をのぞかせている。

 「水爆実験成功」のニュースを受け韓国ではタカ派の有力議員の中からこれ以上事態を看過できないとして「米による戦術核の韓国再配置」「自衛目的の『平和の核』の導入」など核武装論を主張する声も出始めた。新年早々、韓半島に不穏な雲が立ち込めている。