社会各層に浸透して空論で大衆を扇動
「運動経歴」ない日和見主義者が文政権の核心グループ
先月の本稿(10月17日付)で「青瓦台(韓国大統領府)の半数が運動圏出身」で「従北親中反日離米」政策を進めているが、そうはいっても、彼らが「北朝鮮の工作員」であり「北の意を体して『南朝鮮』革命を行おうとしている」というのは極端な見方で、何より韓国ではいまだに「革命」は起こっておらず、北朝鮮による統一も実現していない、という趣旨の記事を挙げた。
さらに「56世代」と言われ、1980年代に北朝鮮の「主体思想」の影響を受け大学で左派運動を展開した彼ら「運動圏」にも「既得権意識」や「権威主義」があって、左派運動とはいえ、朝鮮の歴史的文化的権威主義の枠内にあるとも指摘した。
これをより補強・裏付けする記事が東亜日報社が出す総合月刊誌新東亜(11月号)に出た。「運動もまともにしなかった日和見主義者が文政権の核心」で、筆者は自身も56世代としてソウル大医学部生の時に運動に関わった閔(ミン)庚宇(ギョンウ)氏。現在、数学教育研究所所長をしている。
閔氏によれば「運動圏」は三つのグループ(世代)に分かれる。軍事政権に抵抗した“筋金入り”の民主化運動家もいれば、明らかに北朝鮮の影響下で「革命」を画策したグループもあったが、もう一つ運動の前面から身を引き、社会の各層に浸透して地位を築き、主流勢力になったグループがあり、文政権の多数がこの第三グループだという。各グループを詳しく見ていく。
まず第一のグループは「1970年代の運動を主導した人々で『6月民主化運動』以後、全国民族民主運動連合(全民連)で結集した運動圏の連合体」である。「6月民主化運動」というのは1987年、全(チョン)斗煥(ドゥファン)軍事政権に対抗し民主化を求めた大学生らが街頭デモを繰り返し、次期大統領候補と目されていた盧(ノ)泰愚(テウ)氏が同年6月29日に「民主化宣言」を行い、盧氏は軍服を脱ぎ、民間人(普通の人)となって直接選挙戦に臨んだ。この民主化宣言を軍事政権から“勝ち取った”のが第一グループである。
第二のグループは「民族民主革命党(民主革命党)や韓国社会主義労働者同盟(社労盟)」などで、彼らは「民主化闘争を現場で実質的に主導した後、民主化のアジェンダを超えようと前進した集団だ」と閔氏は説明する。やんわりと書いているが、つまり軍事政権に対するアンチとしての「民主化」だけでなく、それを超えて「社会主義実現を目指そうとした」ということだ。思想的にも運動的にもより過激になっていく。
そして第三のグループは、前の第一、第二グループの“運動の成果を踏み台にして”地歩を築いた集団だ。これが文政権の中枢である。閔氏は「弁護士・教授などの職業を運動の1次根拠地として確保した後、市民団体等を通し徐々に運動に介入したり、でなければ職業政治家になったりしたケースだ」と説明している。彼らが「文(ムン)在寅(ジェイン)政権に参加したエリート集団多数がこれに該当する」という。
彼らの決定的な特徴は「運動経歴」の違いだ。第一、第二グループが街頭で武装警察(機動隊)に「日常的に連行され拘束された。運動圏はこのような危険を押し切って革命や構想を夢見た人々」であるのに対して、第三グループは学友が拷問を受けていた時「傍観していた人々」だといい、閔氏は「この差が第三グループの思想や生活気風に大きな影響を及ぼした」と説明する。
彼らの特徴は「雲をつかむような理論」を駆使すること。2006年の韓米自由貿易協定(FTA)反対闘争、08年の米国産牛肉輸入反対ろうそくデモなどで主張された論理は現実には通じない、例えば「韓国人は米国産牛肉に反応して狂牛病になる遺伝子を持っている」といったとんでもない空論で大衆を扇動することだ。そして、その後、彼らの言っていたことが実証されたためしがない。
次の特徴は、彼らが運動の前面には出ずに社会の各層に浸透して、そこで社会的地位を築いてきたことだ。そのため、彼らの関心は「経済的境遇、マンションの坪数、財産規模」であり、「彼らのDNAは政治路線でなく金だ」と閔氏は言い切る。「権威主義」や「既得権意識」を持つ所以(ゆえん)である。文政権のスタッフに金銭スキャンダル、地位権力の濫用(らんよう)が多いのも納得できる。
編集委員 岩崎 哲