昔ながらの権威主義と既得権意識
北の主体思想を真似た文政権 韓国“親文勢力”の二重性
韓国人「日本へ行くって?、放射能は大丈夫か?」
日本人「はあ?」
日本人「北朝鮮のミサイルが飛んでこないか?」
韓国人「そんなわけない」
両国に横たわっている誤解と偏見とは突き詰めていけばこの程度のものだ。無知に起因するものが多い。対話交流のないところで、とんでもない化け物を育てる。
韓国の文在寅(ムンジェイン)政権を「主体思想派」が支配する従北左派政権であり、「むやみに与える」式の北朝鮮に“忖度(そんたく)”した政策を推進している、と見がちだ。筆者にもその傾向があることは否定しない。打ち出す政策が左派政権のそれであることは間違いないのだから。
しかし、だからといって、彼らが全て「南朝鮮革命」のために送り込まれた、あるいは地下で教育された、あるいは自ら望んで学習した「工作員」だというのは先に述べた“お化け”に近いと言えよう。もし仮にそうだとしたら、どうして未(いま)だに北朝鮮と統一できていないのか、説明が難しくなる。
所詮(しょせん)、彼らも過去の軍事政権や保守政権と変わらず「権威主義」であり「既得権層」にすぎない、と分析したのが月刊中央(10月号)のカバーストーリー「親文勢力の二重性を攻撃する進歩論客たち」である。
これまでも指摘してきたように、左派政権は自らを「被害者・弱者」と位置付ける。軍事政権下で時には不当な弾圧を受けたり、北朝鮮情報をはじめ思想の統制を受けてきたことから「被害者」ぶることは理解できなくもない。また、相手は機動隊や軍だから、徒手空拳の学生だった彼らは明らかに武力の面において「弱者」だった。
政権を取り、権力を握った今日、過去の事件を一つ一つほじくり返して、当時の権力の不当性を暴き立て“被害者”の名誉回復をしようというのが積弊清算の一側面であるが、これは言ってみれば体のいい「仕返し」である。被害者のリベンジであり、強者に回ったかつての弱者が今度は自分たちが力を行使しているにすぎない。価値観が違うから、犯罪者が英雄になったりする。政権交代のたびに見ることになる一場面だ。
文大統領は「汚職、学歴、移転、兵役、不動産」の五つを政権与党関係者に戒めた。左派らしい「清廉さ」を求めたのだろう。だが左派とて韓国の権力にまつわる「悪弊」から自由ではなかった。閣僚や与党関係者から次々に不祥事が飛び出したのである。「曺国事態」や朴元淳(パクウォンスン)前ソウル市長をはじめとする左派有名政治家のセクハラ事件、閣僚の子弟の兵役不正疑惑、大統領府秘書陣の不動産投機、与党議員の横領疑惑などだ。
だが、こうした不祥事が連発するにもかかわらず、文大統領は彼らを厳しく処断しない。むしろ与党や文支持者らは積極的に彼らを庇(かば)い、逆に不正追及する側を攻撃してくる始末だ。一体、どういう理屈なのか、他国のこととはいえ理解に苦しむ。
これには彼らなりの理論がある、ということを同誌で政治評論家の李宗勲(イジョンフン)氏が解き明かしていて興味深い。それには理論的裏付けと長い間の“習慣”があったのだ。
戦いの中で、内部で性暴行などの不祥事が生じても、蓋(ふた)をして問題にしない。これを西江(ソガン)大トラストナショナル人文学研究所の林志弦(イムジヒョン)所長は「包囲された要塞症候群」を引用して説明した。ロシア革命の時、帝国主義列強が革命を妨害しようとするのに対して、ソビエト内部では民主主義や言論の自由、労働運動まで制限あるいは放棄して対抗するという理屈である。「民主化闘争」という大義の前では、内部不祥事などは些末(さまつ)なこととして片付けられたということだ。
だから「証拠が明白な状況でも、相手方を攻撃する方式で危機を抜け出そうとする攻撃性を見せる」ことになる。まさに現在の与党や文支持者が見せている姿であり、李朝時代に繰り返された党争(両班=貴族階級=の派閥抗争)と同じだ。
彼らは「学生運動時期から権力を享受してきた」者たちで「既得権意識が強い」。これに加えて権威主義をまとうから、権力側に立てば何をやってもいいという特権意識となって出てくる。
文政権の「被害者コスプレ」で隠された権威主義や既得権意識に対して、これまで支持してきた進歩陣営の中から「こうした“習慣”が自由民主主義の根幹である『手順を踏んだ民主主義』を脅かすとても危険な概念」との批判が出て、袂(たもと)を分かつ識者が出てきていると同誌は指摘している。
文政権もやはり人間の持つ堕落性から自由でないということだ。それを知ってみれば、青瓦台(チョンワデ)秘書陣の半分以上が「運動圏」出身とはいっても、所詮、この国の“伝統”を繰り返しているにすぎない。
もっとも権威主義や既得権意識について、北朝鮮は今の韓国以上に強い。「強化されたスターリン主義」がすなわち主体思想で、それを真似(まね)ているのが文政権だと言えば、納得性がある。
編集委員 岩崎 哲