元慰安婦運動の欺瞞 日本攻撃運動にすり替え
日韓合意を潰し、問題の存続を図る
韓国で「慰安婦問題」に激震が走っている。元慰安婦の李容洙(イヨンス)さんが活動家集団の「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連、元の「韓国挺身隊問題対策協議会」=挺対協)と尹美香(ユンミヒャン)元代表を批判したのだ。ほとんどの韓国人が元慰安婦とこれら団体の関係が実際はどうなっているかは知らず、正義連の政治目的である「日本非難キャンペーン」に巻き込まれていた。それが、李さんの告発で運動の本質が暴かれ、ようやくその実態にメスが入れられようとしている。
朝鮮日報社が出す総合月刊誌月刊朝鮮(6月号)に「挺対協の“対日闘争”過程で“周辺人”となった“慰安婦被害者”たち」の記事が載った。同誌の記者が一つの論文に注目して書いた記事だ。その論文というのが「2004年7月に女性学者・金貞蘭(キムジョンナン)氏が博士論文として提出した『日本軍“慰安婦”運動の展開と問題認識に関する研究:挺対協の活動を中心として」というもの。
同論文は、慰安婦を支援するはずの活動が、いつの間にか、活動家たちによって日本攻撃運動にすり替えられ、運動解消につながるような日韓両政府によるさまざまな解決策を潰(つぶ)してきた実態を書き出している。
それにしても、一博士論文、それも16年前に出た論考を今になって引っ張り出し、紹介する狙いは何だろうか。最近は李栄勲(イヨンフン)ソウル大名誉教授らによる「反日種族主義」や、裁判沙汰にもなった朴裕河(パクユハ)世宗大教授による「帝国の慰安婦」などの良書が、慰安婦問題の本質を捉えて、ありのままの「慰安婦問題」を韓国民に提示し、それはある程度受け入れられている。
崔吉城(チェギルソン)東亜大学教授による「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実」などは、「慰安所の朝鮮人管理人が残した日記」という第1級史料によって構成されており、その事実は動かし難い。これらによって慰安婦の実態は少しずつ韓国社会に知られていったはずで、それにもかかわらず日本大使館前で毎週行われる日本糾弾の「水曜集会」が1000回を超えて続けられていることに、慰安婦支援とは別の政治的目的があることを韓国民は悟りつつあった。
金氏はすでに論文を書いた04年の段階で、慰安婦支援運動が事実上活動家に乗っ取られ、主客が転倒して、助けられるべき元慰安婦が脇役(周辺人)に追いやられていたことを喝破していたことになる。その時点で韓国には事実を見詰める目があったことを証拠として示しておこうという意図なのか。
それは置くとして、日韓両政府による解決策、すなわち1995年の「アジア女性基金」や2015年の日韓慰安婦合意では、主役の元慰安婦を差し置いて、挺対協(正義連)が交渉の主導権を握って、日本からの支援金を「汚い金」だとして、慰安婦たちに受け取りを拒否させ、受けた者たちを“裏切り者”のように非難し、支援策を頓挫させてきた。
彼らがことごとく合意を潰してきた理由を金氏は「基金を受領すると、おばあさん(元慰安婦)たちは散っていき、そうなると“慰安婦”運動は破局を迎えることになる」と分析する。同誌は言い換えて、「一種の組織存続と運動動力喪失に対する“危機感”“恐れ”を感じたから」だという。この辺の小難しい言い回しを韓国の言論界は好むが、要するに「メシの種がなくなる」ということだ。だから解決してもらっては困るので、合意を破棄させ、問題の存続を図ったわけである。
このからくりを韓国民はとうに悟っていただろう。アジア女性基金では幾人かは義援金を受け取って、挺対協から非難されつつ、運動の前面から去って行った。この時点で、組織の欺瞞(ぎまん)を韓国社会が追及していれば、慰安婦問題は終わっていたのだ。
さらに金氏は、李栄勲教授も指摘していたことだが、歴史上、世界中の戦争と切っても切れなかった慰安婦問題なのにもかかわらず、なぜ太平洋戦争時の慰安婦だけが問われるのか、の疑問も投げ掛けている。
アジア女性基金の時、フィリピンの団体が「日本という一国を対象に戦いを限定しなかった」と“人類の罪”の次元で捉えていたことと対照的で、それだけに、正義連(挺対協)の政治性が浮き彫りになる。
金氏は活動家が高学歴知識人なのに比して、慰安婦が「貧しい人生を送ってきた」境遇でそこに「階級的差」があるとしているが、この辺の感覚はよく分からない。知識階級と無知な庶民という身分制の記憶なのか。
むしろ、そうまでして日本攻撃する政治的意図がどこから出てきているのか、これをこそ分析すべきだろう。
編集委員 岩崎 哲