韓国の最新「広場の政治学」
「中高年」と「壮年」の競い合い 集会参加者は発表の10分の1
「書を捨てよ、町へ出よう」と寺山修司は言った。最近のソウル市内を埋めるデモ群衆を分析してみると、若者が少ないことが分かった。若者は何処(いずこ)へ行ったのだろうか。
曺国(チョグク)氏の法務長官就任と家族疑惑をめぐって、韓国メディアが「国が分裂した」というほど韓国社会は二分して対立した。一方がソウル中心地の光化門広場で曺国追及集会を行えば、他方は検察庁がある江南の瑞草洞で曺国支持デモを繰り広げた。それぞれが「300万人」「200万人」と数を競い合った。これを韓国では「広場政治」という。
国会で審議を尽くすのではなく“場外”で決着をつけようというもので“誇らしい民主政治”なのだという。朴(パク)槿恵(クネ)前大統領を下野させたのも「ろうそくデモ」だった。もちろん、弾劾、大統領選挙という“民主的”手続きを経たものだが、当選した文(ムン)在寅(ジェイン)大統領は一連の政変劇を「ろうそく革命」と規定した。つまり政権転覆(クーデター)のデモだったことを自ら認めたのだ。
さて、この数カ月間、韓国を揺るがした曺国政局について、各月刊誌は特集を組んでいる。その中で月刊中央(11月号)が興味深い記事を載せた。「広場の分裂」だ。
広場政治でものをいうのは動員力である。デモ集会に何人集まったかがそのまま世論の勢いとして受け取られるからだ。ところが、テクノロジーの発達はそうした“政治的”数字の欺瞞(ぎまん)を容赦なく暴く。
まず警察は「フェルミ推定法」を使って集会の人数を計る。これは単位面積当たりの人数を数え、広さに掛ける方式で、わが国でも「警察発表」として出される数字で、ほぼ正確だ。
しかし、同誌が紹介した人数把握方式は先進的なものだった。「集会場所一帯に設置された携帯電話基地局の接続端末機数で参加人数計算が可能」ということだ。これだと政局の流れを転換させた「10月3日の光化門集会の時、この一帯7集計区で最大36万人」という数字が出ている。一方、曺国支持の「10月5日、瑞草洞一帯17集計区では最大11万人」だった。
それぞれが発表した100万単位の人数は桁が一つ多かったわけだ。実態はそんなものだろうと、一般人は漠然と予想はしていても、こうして機械的に人数がはじき出されてみれば、「300万人集会」などと新聞に書かれた印象が一気にしぼむ。
もっと驚くべきことは、把握された端末持ち主のデータまでが明らかになることだ。つまり年齢構成が分かるのである。それによると、光化門では70歳以上が35%で最多、60代が27・3%、50代が14・9%で主流を成し、40代からは1桁台で8・0%、30代6・5%、20代5・2%、10代に至っては1・5%だった。
他方、瑞草洞の曺国支持集会では40代が26・7%で最多、50代24・4%、30代12・2%、70代は7・6%だった。こうしてデータで見れば、二つの集会は「中高年」と「壮年」の競いだったわけで、同誌は「『青年』がいなかった」と総括している。
集会の年齢構成も予測されたもので、曺国支持はいわゆる「386世代」と言われる学生運動世代が中心となり、保守派の集会はそれよりも年齢が上の世代が主流となっていることが再確認された。
問題は「青年たち」である。同誌は「進歩も保守もどちらも彼らを広場に呼び出す力が足りなかったという傍証と解釈できる」と分析している。
ところが、青年はその場にはいなかったものの“確かにいた”のである。それは何か。フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのインターネット交流サイト(SNS)を通じて瞬時に、あるいは生中継され、青年は集会の“中にいた”のだ。集会参加者が発信した様子が、これらSNSを利用する若年層に広く共有された。
同誌は「もはや広場だけが市民を代弁する唯一の窓口ではない」と変化を指摘している。「火炎瓶の代わりにろうそくを、ろうそくの代わりにスマホ」と時代が大きく変わったのだ。広場では目に見える組み分けの論理が蔓延(はびこ)るが、ネット上ではそれは可視化しない。
尹(ユウ)平重(ピョンジュン)韓神大教授は同誌に、「広場政治は代議政治の補完材であって代替材ではない。街頭政治に国家運営の代わりはできない」と語っている。韓国のデモ文化に変化が訪れている。
この変化を寺山修司はお隣の国のことながら草葉の陰でどう見ているだろうか。
編集委員 岩崎 哲





