北の湖理事長が死去、伝統重視で協会を運営


人気回復にも手腕、「怪童」「輪湖時代」、62歳

北の湖理事長が死去、伝統重視で協会を運営

大相撲名古屋場所初日、協会あいさつに臨む日本相撲協会の北の湖理事長(中央)ら=7月、愛知県体育館

北の湖理事長が死去、伝統重視で協会を運営

時津風部屋の力士死亡を受けた臨時理事会で時津風親方の処分を決めた後、記者会見で頭を下げる北の湖理事長(左)=2007年10月、東京・両国国技館

北の湖理事長が死去、伝統重視で協会を運営

最後に北の湖の大たぶさを切る三保ケ関親方(2代目増位山)=1985年、東京・両国国技館

北の湖理事長が死去、伝統重視で協会を運営

大相撲九州場所会場の福岡国際センター前で日本相撲協会の北の湖理事長の遺体を乗せた車を見送る親方衆ら=21日午後、福岡市博多区

 「憎らしい」とまで評された強さを誇った現役時代。安定感抜群の横綱だった北の湖理事長は、日本相撲協会の運営でも堅実な手法を選んだ。

 弟子の大麻問題で引責辞任した後、2012年初場所後に相撲協会トップとしては初めての復帰。折しも、相次いだ不祥事で揺れた相撲協会が公益財団法人への移行に苦慮していたころだった。

 自身の苦い反省を生かし、相撲協会の危機管理を徹底。それまでにさまざまな改革案が推し進められてきたが、北の湖理事長は「伝統重視」にかじを切った。

 相撲協会による一括管理に向け、特別功労金を支払って買い上げる方針だった年寄名跡は、従来の形態を温存する方向で親方衆をまとめ上げた。抜群の知名度も生かし、監督官庁などとの調整で手腕を発揮した。

 「力士がいなければ、何も残らない。相撲を見てもらうのが一番」。口癖のように繰り返し、土俵の充実にも努めた。遠藤、逸ノ城ら新鋭の活躍もあって、相撲人気は一気に回復。今年は年6場所の90日のうち86日で大入りが出る見通しだ。

 ぶっきらぼうだが、気配りの人。今場所は腰痛のため歩くのが難しくなっていた。それでもあいさつに訪れた関係者の名刺を椅子から立ち上がって受け取り、丁寧に頭を下げた。順調な集客を喜び、「来年もこの流れに引き続き乗っていきたい」と話したのはつい先日だった。