梶田隆章さんが記者会見「非常に興奮した」


ノーベル賞決定から1週間、86年秋の発見を振り返る

梶田隆章さんが記者会見「非常に興奮した」

ノーベル物理学賞決定から1週間たち、記者会見する梶田隆章さん=13日午後、千葉県柏市の東京大宇宙線研究所

 東京大宇宙線研究所長の梶田隆章さん(56)がノーベル物理学賞受賞決定から1週間たった13日、千葉県柏市の同研究所で記者会見した。博士号取得から半年後の1986年秋、素粒子のニュートリノに質量(重さ)があることを示す「ニュートリノ振動」の観測に至るきっかけになった発見をしたことについて、「理論の予想していない形で『振動』が起こっている。非常に興奮した」と振り返った。

 梶田さんは「データ解析結果を小柴(昌俊)先生や戸塚(洋二)先生に強くサポートしていただいた。(両先生は)面白いことになったな、という印象だったかと思う」と語った。自身の経験を踏まえ、「若い人にはチャンスがあると伝えたい」という。

 当時の素粒子物理学の標準理論では、ニュートリノには質量がないとされていた。しかし、62年に名古屋大の牧二郎博士と中川昌美博士、坂田昌一博士が、実は質量があるため、長距離を飛ぶ間に種類が周期的に変化する「振動」が起きるという理論を発表した。

 梶田さんは、岐阜県飛騨市の神岡鉱山地下にある施設「カミオカンデ」で行われた陽子崩壊現象を探す実験について論文を書き、86年3月に博士号を取得した。その後も観測データをコンピューターのソフトウエアを使って解析していたところ、宇宙線が地球の大気と衝突して発生したニュートリノのうち、ミュー型の観測数が「予想より非常に少ないこと」に気付いた。

 この現象は98年には後継装置「スーパーカミオカンデ」による観測で、ミュー型が観測できないタウ型に変化する振動が起きたためと確認された。

 梶田さんは発見当時を振り返り、「最初は十中八九、ソフトウエアの間違いだと思ったが、自分の目で(データが表示された)ディスプレーを見て、間違いないと思えた。当時はニュートリノの種類が変わるにしてもごくわずかと思われており、大問題だという感覚があった」と語った。