江戸時代後期の航路図発見、竹島を日本領と認識


日本国際問題研が発表、領有権を語る上で貴重な資料に

江戸時代後期の航路図発見、竹島を日本領と認識

竹島が記載された江戸時代後期の航路図=18日午前、松江市

 日本国際問題研究所(東京)は18日、島根県の竹島(韓国名・独島)の周辺を通る帆船の航路を記した、江戸時代後期の航路図1枚を発見したと発表した。調査した島根大の舩杉力修准教授によると、当時は異国を航行することができなかったことから、日本領と認識していた可能性が高いという。

 航路図には松前(現在の北海道)から下関・長崎へ向かう航路の近くに、竹島(現在の鬱陵島)と松島(現在の竹島)の名前が記されており、松島近辺を通っていたことが判明した。航路図には注記として、帆船の船頭らによる竹島と松島の地理的な情報も記載されている。

 舩杉氏によると、松前から長崎まで昆布を運んでいた船の航路図で、当時の密貿易の状況を調査した資料だという。1820~30年代のものと推定され、江戸幕府の長崎奉行が作成したと考えられる。

 この時代の公的な地図が見つかったのは初めて。舩杉氏は「国際法で地図は二次的な証拠でしかないが、国際司法裁判所での公的地図の証拠価値は高い。江戸時代の領有権を語る上で非常に大きな資料だ」と指摘している。