中国共産党と台湾国民党、内戦から75年も残る溝


抗日戦をめぐる歴史認識で対立が続く、打算の「和解」も

中国共産党と台湾国民党、内戦から75年も残る溝

中台分断後初めて中国を公式訪問した台湾の江丙坤・国民党副主席(左)と握手する共産党幹部の賈慶林・人民政治協商会議(政協)主席(いずれも当時)=2005年3月、北京(AFP時事)

 7月に創立100年を迎える中国共産党と、現在台湾最大野党の国民党は、75年前の1946年6月26日、当時の中国大陸で全面的な内戦に突入した。敗れた国民党は台湾に逃れ、蒋介石を頂点とした独裁政権を敷いた。大陸で激突した両党は2000年代に入り、台湾独立志向の民進党という「共通の敵」を見いだして和解したが、抗日戦争をめぐる歴史認識で大きな溝が横たわる。

 「中国共産党が今、国連安保理で拒否権を持つ常任理事国の座を享受できているのは、国民党が8年間の抗日戦をリードし勝利したおかげだ」

 国民党の軍人として抗日戦や国共内戦を戦い、李登輝総統時代に行政院長(首相)を務めた郝柏村氏は、100歳で死去する直前の19年に出版した抗日戦に関する口述書でこう語り、国民党の貢献を再評価するよう共産党に改めて訴えた。共産党は抗日戦について、「わが党が中心的な役割を果たした」と一貫して主張している。

 抗日戦当時、国共両党は戦闘を交えていたが1937年7月に旧日本軍との軍事衝突「盧溝橋事件」が北京郊外で発生すると、統一戦線を組んだ。ただ、共産党は当時、国民党との戦闘で壊滅状態となり、本拠を内陸部の陝西省延安に後退させていた。郝氏が「抗日戦の主役は国民党の(組織する)国民政府だった」と振り返るように、旧日本軍と最前線で戦ったのは、兵力や資金力で勝る国民党だった。抗日戦で消耗した国民党は、共産党との内戦で敗北を喫することになる。

 共産党にとって、抗日戦の勝利は中国で独裁を続けるための正当性の核心であり、歴史認識をめぐる妥協は許されない。習近平政権は2017年、抗日戦の起点を盧溝橋事件から、1931年の柳条湖事件に6年間さかのぼる解釈変更を打ち出した。国民党に先んじて日本と戦ったとアピールすることで、党の威信を一段と強化するのが目的とみられる。

 「中華民族の偉大な復興」の重要目標として、習政権が台湾統一に突き進む中、国民、共産両党は現在、現代版「国共合作」とも言える協力関係にある。ただ、国民党の下野などにより、交流は低迷している。

 台湾の張五岳・淡江大副教授(中台関係専門)は両党の今後の関係について、「北京(習政権)は、(台湾)独立に反対する勢力との政党交流を放棄することはないだろう」と分析。共産党は、かつての宿敵・国民党との「統一戦線」を続けるとの見方を示した。(台北時事)