「教誨師」という仕事 死刑囚の魂の看取り人
《 記 者 の 視 点 》
今年、私が読んだ中で一番の本になるだろう。
講談社文庫から出ている堀川恵子著「教誨(きょうかい)師」だ。
半世紀もの間、死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち会い続けた浄土真宗僧侶・渡邊(わたなべ)普相(ふそう)。
「わしが死んでから世に出してくださいの」という約束の下、本書で初めて語られる死刑の現場が生々しい第1回城山三郎賞受賞作だ。
実は本書を読むまで、「教誨師」なる仕事があるとは知らなかった。
宗教者が死刑囚と定期的に会って話し、心を整理させ、死刑台まで送る魂の看取(みと)り人だ。
例えば本書ではこういったシーンがあったことを書き記している。
「先生、処刑の際にばたばたしないような覚悟を固めたい。どうすればいい?」
「お前さん、心配には及ばない。こうして私がついているではないか。人間みな死刑囚だ。みないつか死ぬ。残された時間を大切にするしかないではないか」
また首に縄が掛かる直前、死刑囚は「先生、引導を渡してください」と言った。
渡邊は焦った。浄土真宗に「引導」などない。
すると篠田(渡邊を教誨師に誘った長老)は迷いなくスッと前に進み出た。
「よーっし。桜井さん。いきますぞ!死ぬんじゃないぞ。生まれ変わるのだぞ!喝ーーっ!」
なお書くことを生業(なりわい)とする一人として、すごい人だと思うのは著者の堀川氏だ。
教誨師・渡邊から全幅の信頼を勝ち取り、全てを吐き出させ書き上げた。
渡邊にすれば、無縁仏になりがちな関わった死刑囚たちの生きた証(あかし)となる墓標を残してやりたいという教誨師としての最後の仕事だった。
また、堀川氏はその仕事を引き受けることで病に侵された渡邊の「教誨師」になった。
教誨師の「誨」は、戒めの「戒」ではなく、母の言葉が中に詰まっている「誨」だ。
また、堀川氏は「許しパワー」にも言及する。
人は悪事を糾弾されても、言い訳を考えたり、責任逃れに走ったりと大抵、心はかたくなになるばかりだ。
しかし、相手が許していると知った時、そうした心の鎧(よろい)が一瞬にして消えることがある。許しは人間の反省や更生を促す特効薬なのかもしれない。
なお、中国では文革時代、死刑囚を見せしめのために公開処刑にしたり、撃ち込んだ銃弾の費用を親族に迫ったりした。
「宗教は阿片(あへん)」だとする共産主義国家に、「教誨師」が存在するはずもないが、恨み骨髄のままあの世に送るようなことはあってはならない。
死刑囚といえども、宗教者も誰も外部の人間抜きにやったら、それこそ本当の人殺しの現場になってしまう。
「教誨師」とは、強制的に死を迫られた死刑囚の魂の介添人だが、記者も魂の次元まで昇華され透徹したまなざしを持つべきだとつくづく思った。
編集委員 池永 達夫