コロナ危機から見直す歴史 旧きものから新しきものへ
《 記 者 の 視 点 》
2017年夏、東京都美術館で、ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」展が開催された。この画家は16世紀ネーデルランド絵画の巨匠で、24年ぶりの来日。これをまた、ここで話題にするのは、新型コロナウイルスの世界的流行との関連だ。
14世紀に西欧世界を襲った黒死病(ペスト)は、中世封建社会を一気に崩壊させた。疫病の大流行がもたらしたものが何だったのか、この名作はそれを教えてくれる。展覧会での見どころの一つは、15世紀から16世紀への美術史の大きな変化だった。
それを一言で言うと、宗教画と木彫の聖像から風景画や風俗画への移行だ。信仰は習慣にすぎず、生命力がなく、代わって現世や自然界が人々の興味の的になる。この時代の世相を生き生きと描写したのは、歴史家ヨハン・ホイジンガの『中世の秋』。
敬虔(けいけん)な感情と世俗的関心を示す典型例として、フィリップ善良公が登場する。信心深い人で、週の4日はパンと水で過ごし、密(ひそ)かに多額の喜捨をし、従者が死ぬとミサを行った。が、その一方、贅沢(ぜいたく)極まる祭典を催し、無数の私生児を生み、狡猾(こうかつ)な政治的策略を企て、強い自尊心と激しい憤怒の人物。
近代人には不可解な精神の持ち主だが、中世の意識にあった二つの人生観の同時並行的存在だったという。ところで「バベルの塔」は旧約聖書の物語で、人間の傲慢(ごうがん)さへの戒めとして、塔を築いた人々の言葉を神が分裂させる。しかしブリューゲルの絵画ではまったく違った意味が付与されていた。
東京藝術大学ではそれを示すために、先端技術を使って巨大複製画を作り、大学内には模型を展示して細部を見せてくれた。建設に従事する人や煉瓦(れんが)を造る人、船から荷を降ろす船員など1400人が登場し、合理的で組織的な、後の科学技術時代の到来を暗示していた。
中世末期に、異常なものの出現と社会の死を見た歴史家の故木間瀬精三は、『死の舞踏』(中公新書、昭和49年)を世に出し、黒死病が与えた大きな衝撃を描いた。と同時に、木間瀬は現代にも同じような異常さを感じてこう記した。
「現代は確かに狂った時代である。異常なもの、反常識の世界に対する喜び、否定的な、破壊的な要素にのみひきつけられる心、すべてがアブノーマルであり、そのアブノーマリティは限度を知らない」
スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは、西洋思想の変遷を語った『ガリレオをめぐって』(法政大学出版局)で、古代の生活は宇宙中心的、中世は神中心的、近代は人間中心的、と生活の在り方を述べた。
ブリューゲルは人間中心的時代への入り口を描いたが、今はそれが異常なものを生み出す源となり、苦悶(くもん)を呈している。地球の環境問題も、国際政治の対立も、家庭の崩壊も、木間瀬が言うように「旧(ふる)きものは片づけられ、新しいものに場所を空けなくてはならない」。天地にはそれを貫く公法があるからだ。
客員論説委員 増子 耕一