自主的に契約に応じた地主 「拒否」はごく一部の人々
元那覇防衛施設局課長 垣花恵蔵氏に聞く
大多数の提供者は軍用地返還望まず
翁長(おなが)雄志(たけし)知事は安倍晋三首相、菅義偉(よしひで)官房長官などとの会談や国内外の記者会見で、終戦後の「銃剣とブルドーザーによる土地の強制収用」に言及。沖縄県民がいかに米軍による抑圧によって苦しめられたかを説明する材料としている。果たして、沖縄県民は自らの意思に反して土地を奪われ、抑圧されたのだろうか。防衛省の那覇防衛施設局(現在の沖縄防衛局)で米軍の用地取得に携わった宜野湾市在住の垣花恵蔵・元課長は県民は進んで貸借契約に合意したと証言する。(那覇支局・豊田 剛)
――沖縄の本土復帰後、那覇防衛施設局で軍用地取得の仕事に携わったが、当時の様子は。
地主とは対等な立場における合意に基づいて公正な契約を締結した。
ほとんどの土地提供者は住所や氏名、「米軍施設に提供することとする」と書かれた書類に快く捺印した。復帰後は日本国憲法と民法との契約自由の原則に基づいて契約している。
――翁長知事は県議会6月定例会で、「米国民政府下で日本国憲法や民法が通用しない状態で県民は提供するしかなかった」「自ら進んで提供したのではない」と答弁した。翁長知事は土地の強制接収を強調しているが、実際はどうなのか。
宜野湾市の伊佐浜で強制収用があったのは事実だが、その地主のうち、拒否の意志を示したのはごく一部の人々だ。
米軍用地は20年に一度、契約更新をしている。沖縄の本土復帰後、政府は20年契約で土地を借り、米軍に提供したりしている。民法でいう契約自由の原則によるもの。
沖縄が本土復帰した後、何度も更新しているが、強制的に接収されたのであれば、なぜ更新を拒否しないのかという話だ。
――知事は県民自ら誘致した基地はないと言っているが、キャンプ・シュワブとキャンプ・キンザーは地元が誘致したという記録が村誌などに残っている。
キャンプ・シュワブがある辺野古漁協の場合、米軍が空域を使っているときは漁に出られないので、その分の補償をもらっている。キャンプ・キンザーの地元でも同様に恩恵を受けている。
――名護市長は名護市にかかるキャンプ・キンザーの東シナ海側斜面の一部162ヘクタールを返還しないよう再三、防衛局に要請した。また、普天間飛行場の返還を望まない地主は多いのではないか。
県軍用地等地主会連合会元会長の浜比嘉勇沖縄市議は今月7日の議会で「大多数(の地主)は今、(土地を)接収されて喜んでいる」と発言した。「復帰で借地料が6・6倍になり、その時から地主の苦労はなくなった。地権者からすると(普天間飛行場を)返還されることが苦悩だ」と話した。
軍用地を返還するときは原状回復しなければいけない。元あった状態に戻すということ。
島尻安伊子参院議員の尽力によって平成24年4月から跡地利用特措法(駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律)の一部が改正された。これにより支給期間の限度が、当初の返還後3年間から「土地の使用又は収益が可能となると見込まれる時期を勘案」すると規定された。
原状回復には長い年月がかかりますから、地主にとってはとても助かる話だ。
嘉手納基地には約2300人の地主がいるが、土地用途の区分はなく評価され、面積で案分されている。これに対し、地価を一律に支給するのは不公平だという意見が出ているが、これを解決するのは困難だ。
最近、軍用地売買の広告をよく目にする。軍用地主の中には生活が困難になる人もいると聞いている。家を建て替えたり、買ったり、子供が結婚をするなどの理由から軍用地を手放す人が多いのが背景にあるのだと思う。
かきのはな・けいぞう
1930年4月28日生まれ。宮古島市出身。書家。宮古中学在学中、沖縄戦のため台湾に疎開。戦後沖縄に戻り、48年に琉球警察採用。56年から琉球政府会計検査院を経て、72年に那覇防衛施設局に就職。取得第一課長、管理課長など歴任。県書道美術振興会常任顧問。一般社団法人沖縄皇室崇敬会会長。
軍用地主
県軍用地等地主会連合会(土地連)によると沖縄県の米軍や自衛隊の基地内に土地を持つ軍用地主は4万2000人いる。米軍基地は約232平方㌔㍍、自衛隊基地は約6平方㌔㍍。2011年の実績は927億円。1人当たり年間200万円になる計算。
現在、90%以上の約2万9000人の地主と賃貸契約を交わしており、面積では99%以上になる。約3000人いるとされる未契約者はいわゆる「反戦一坪地主」。地主は土地の分筆によって増え続けているとみられる。
住民の意思に反して接収された土地については、宜野湾市、那覇市、伊江村の一部で、合計すると約177ヘクタール、現在の在沖米軍基地面積の約0・8%に相当する。