松本哲治浦添市長が那覇軍港移設を容認
翁長雄志沖縄県知事の一転「賛成」が要因
基地整理縮小の日米合意を優先
浦添市の松本哲治市長は20日、記者会見を開き、米陸軍那覇港湾施設(那覇軍港)を浦添埠頭(ふとう)地区に移設する計画を受け入れることを明らかにした。日米両政府が合意した空軍嘉手納基地(嘉手納町)以南の米軍施設の統合・返還計画の前進が期待される。翁長雄志(おながたけし)知事は軍港移設を推進する一方で、普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に強く反対する姿勢は変わっていない。(那覇支局・豊田 剛)
西海岸開発、国際リゾートを目指す
松本市長は記者会見で「軍港移設を進めることで沖縄県全体の米軍基地の整理縮小につながっていく」と移設の理由を説明した。
「公約違反」と批判されながらも受け入れに転じたのは、翁長知事の態度が二転三転したからだ。那覇軍港は那覇空港と市街地のどちらからも近くに位置することから、翁長知事は那覇市長時代から浦添埠頭への移設を求めていた。
ところが2013年の浦添市長選では、浦添市教育長の西原廣美氏が出馬するに当たり、軍港の浦添移設に反対、無条件返還を求めた。翁長氏は西原氏の出馬を後押しした。その際、1996年の「SACO合意(注)と切り離して考えなければならない」と主張。浦添移設は軍港返還の前提ではないとの立場を取り、自民党沖縄県連も歩調を合わせた。
しかし翁長氏は市長選後、軍港移設反対から容認に再び転じ、昨年秋、知事選に出馬するに当たり、儀間光男前浦添市長が誘致したことを根拠に推進の意思を示した。自身が移設に断固反対している辺野古との違いについては、「地元が受け入れているかどうか」と説明した。
「あらゆる手段を使って辺野古は埋め立てさせないと言いながら、軍港の移設は進めると公に発言する知事の真意を聞きたい」と、松本市長は翁長知事と城間幹子那覇市長との三者面談を要求し続けているが、いまだに実現せずにいる。
翁長知事は今年3月の県議会一般質問でSACO合意が優先されるとの認識を示した。那覇市当局も同2月の市議会代表質問でSACO合意を堅持する立場を明確にした。さらに、翁長知事の支持基盤である共産、社民、社会大衆、県民ネットも、辺野古は絶対阻止を主張しながら、浦添移設は容認の立場を取っている。
軍港移設に対する県と那覇市の方針が明確になったことで、松本市長は軍港容認の表明を決意した。21日に市内で開催された市政報告会で、「10年ごと行われる那覇港湾計画の改定時期が今で、これを逃せば(儀間市長時代に制定された)現行案がそのまま採択されてしまう」という危機感が容認決断の要因となったことを明らかにした。反対するだけでは何ら建設的な議論ができないことは百も承知の故の決断だ。
松本市長は、キャンプ・キンザー跡地と埋め立て地を「国際的にも有数なリゾート地にしたい」と考え、均衡の取れた市の発展・再開発を願っている。返還地の南部は物流拠点となり、北部はリゾート開発が予定されているが、現行案では、リゾートエリアの目の前に軍港が予定されており、ビーチが軍港に面しないように北向きになっている。
「西海岸のリゾート地にもかかわらずサンセットが見ることができないのは納得しない。ビーチを西向きに変え、軍港を南側の沖合に移動してほしい」と政府に要請した。計画の変更が実現すれば、埋め立て面積は187㌶から115㌶に縮小。
残された選択肢は「軍港そのものをなくすか、軍港の位置を変えるかのどちらかだ。断固反対を唱えてもそのまま進む可能性が高い」と強調し、日米両政府、県、那覇市を敵に回すのは現実的にほぼ不可能な話だと訴えたが、報告会に集まった市民の怒りは簡単に収まらない。社民党、社大、共産はその翌日、「公約違反」を理由に辞任を要求した。
地元メディアは「公約違反だ」「信を問い直せ」と松本市長を批判する論調を展開する一方で、翁長知事の基地政策の矛盾については一切追及しない。「せっかく受け入れを表明したのだから、ここで翁長知事を追い詰めなければ」。市長に近い議員は世論を敵に回してしまった現状に危機感を募らせている。
(注)SACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意
1995年、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きたことをきっかけに日米両政府が沖縄県の米軍基地の整理縮小を検討し、96年12月2日に合意したもの。普天間飛行場を含めた11施設、計約5000㌶の返還を盛り込んでいる。