日本画家の杉山寧(やすし)は1942年に中国に…
日本画家の杉山寧(やすし)は1942年に中国に旅立ち、北京から約300㌔も離れた大同を訪れて雲崗の石仏群を精力的に写生した。古代美術には人間本来の姿が存在し、永遠性が潜んでいると感じていたからだ。
東京都庭園美術館の館長、樋田豊次郎さんは古い図録の中に杉山がその時描いた《雲崗五窟 如来像》を見つけて「如来の支配する静謐な空間に吸い込まれていくような気持にとらわれた」。
杉山がこの仏像に出会った歓(よろこ)びを感じ、そのみずみずしい感性と筆力に魅了されたのだ。当時の日本では、和辻哲郎らによって飛鳥仏が熱く語られ、その関心の高まりの中で杉山は中国旅行を決意した。
日本人がアジアを見る目と、西洋人がオリエントを見る目は、同じだったのだろうか。樋田さんが抱いた疑問だ。西洋人の場合には、ドラクロワの《アルジェの女たち》が示すように、オリエントの支配願望があった。
だが、日本人にあったのはアジアへの謙虚な憧れだ。明治末以降、朝鮮陶磁が評価され、楽浪漆器が発掘され、唐三彩が出土し、雲崗石窟が調査され、辛亥革命で文物が流出。それら遺物や古美術が日本に輸入される。
工芸家や画家たちはそれに衝撃を受け、アジアの古典美術を再認識する。同美術館で開催中の「アジアのイメージ」展は1910年から60年に至るアジアの古典美術熱と、そこから創造された日本人作品の数々を紹介。新たな視点から日本とアジアを見直した展覧会だ。