人に何かを頼む場合、丁重にやると断られる…


 人に何かを頼む場合、丁重にやると断られることがある。むしろ威張って対応すると、うまくいく。大したことのない画家でも、1枚何百円(明治30年代)という値を付けると、案外その値で売れることがある。

 小堀桂一郎訳・解説「森鴎外の『智恵袋』」(講談社学術文庫)に出ている言葉だ。強気でいった方がいい結果になるという話だ。『智恵袋』は鴎外が30代後半のころに書かれたものだが、陸軍軍医として勤務した実体験を踏まえているのは当然だろう。

 古美術商が書いた本にも、バブル期、絵画が200万円で売れなかったので「0」を一つ足して2000万円にするとすぐに売れたという話が出てくる。異常な時代のエピソードではあるが、鴎外の話に通じるものがある。

 鴎外というと鬱然(うつぜん)とした文豪のイメージがあるが、実際は人間関係の機微に極めて敏感な人物だったようだ。ライバル視される夏目漱石の方が、対人関係では案外器用にやっていたように見える。

 大正11年、60歳で亡くなるまで、鴎外は公職を離れることがなかった。高級官僚として人間関係の苦労は尽きなかっただろうが、なぜか公職は手放さなかった。プロの作家として小説を書き続けた漱石とは全く違った人生を送った。

 その点で鴎外は、漱石以上に「普通の人生」を歩んだ作家だった。「強気に出た方がいい結果を生む」という言葉も、厳しい役人生活なくしては生み出されることがなかったもののように思われる。