文芸評論家の江藤淳が自裁して、21日で20年…


 文芸評論家の江藤淳が自裁して、21日で20年になる。これを機に、出版その他で江藤を再評価する動きが盛んだ。気流子も、神奈川近代文学館の「没後20年 江藤淳展」(最終日15日)を観(み)てきた。

 最終日直前となったのは、4月下旬に出版された平山周吉氏の評伝『江藤淳は甦える』(新潮社)の読了後にしたためだ。平山氏は「文學界」の編集者で江藤が自殺する数時間前に鎌倉の自宅を訪ね、『幼年時代』連載第2回の原稿を受け取った人。

 評伝は江藤の著作や発言はもちろん、徹底した資料の渉猟と関係者への取材を元に、文筆家としての仕事と私生活にわたる生涯とを描いた800㌻近い大作。このおかげで、展覧会では自然と観るポイントが定まった。

 江藤は脳梗塞で「形骸」となった自身を「処決」すると遺書に遺(のこ)したが、その前年に最愛の妻、慶子夫人に先立たれたことが大きかった。

 夏目漱石や小林秀雄の評伝、さらに占領期の連合国軍総司令部(GHQ)による検閲の実態を炙(あぶ)り出すなど、戦後最大の業績を残した批評家の自殺に、気流子も少なからず落胆した。それもあり関心は減っていった。

 しかし平山氏の評伝は、4歳で実母を亡くした江藤にとって、慶子夫人は妻であるばかりでなく、母親代わりで仕事上の同志でもあり、「一卵性夫婦」(慶子夫人)だったことを描き出している。江藤の公私は密接に結び付いていた。展示された江藤夫妻の写真に自然と目がいった所以(ゆえん)である。