日本には明治時代に西洋から入ってきた…
日本には明治時代に西洋から入ってきたスポーツアルピニズムとは別に、古代から登山の歴史があった。修験道だ。一般人が入り込めない世界だが、そのただ中に入って写真に収めてきた人がいる。
写真家の内藤正敏さんだ。現在、東京都写真美術館で開かれている「場所をめぐる4つの物語」展で「出羽三山」を紹介している。内藤さんが興味を持ったのはそのシャーマニズム的な宇宙観。
山伏修行を始めたのは1966年。10年以上の歳月をかけて体験し、学び、写真に収めた。「秋の峰」という作品で示すのは、断食中の山伏たちが唐辛子と小糠(こぬか)を混ぜた粉を燃やした煙で燻(いぶ)される「南蛮いぶし」。
これは地獄・餓鬼・畜生の三悪道の中で最も辛い苦行とされる。松明(たいまつ)の火を振り回す「柴燈(さいとう)護摩(ごま)」は、自身の葬儀の意味を持ち、前世の罪を焼き尽くして新しい魂をつけるための所作だ。
山伏にとって三山の羽黒山は観音で現在、月山は阿弥陀如来で過去、湯殿山は大日如来で未来を意味するという。三山を歩くことは空間の移動ではなく、過去・現在・未来という時空を旅することなのだ。
「そもそも“山”というのは、天と地、生と死、始まりと終わりといった相反する性質が同居する空間」と内藤さんは理解する。とりわけ仏像を写した作品には異様な迫力と生命感情がある。現代人はこのような宇宙観とは縁が薄い。内藤さんのメッセージは現代人の生き方を見直す重要な示唆を与えている。