北陸の港町に帰省した折、スーパーの鮮魚…


 北陸の港町に帰省した折、スーパーの鮮魚コーナーを覗(のぞ)いたところ、鯨の刺し身が手頃な値段で売られていた。これは珍しいと早速買って食べてみたが、臭みのない淡白な味だった。定置網に迷い込んだ鯨のようだ。

 気流子が小学生の頃、学校の給食に鯨のフライやステーキが出た。当時、給食に肉が出ることは極めて希(まれ)で、鯨のステーキはごちそうだった。捕鯨船団が南氷洋で捕獲した鯨の肉は戦後の日本人の貴重な蛋白(たんぱく)源だった。

 今でこそ欧米諸国は日本の捕鯨を批判するが、鯨を乱獲してきたのはかつての欧米だ。1960年代半ばに南氷洋捕鯨から撤退したのは、収支が合わなくなったからだ。彼らは皮脂と骨から鯨油を採取し、赤身部分を家畜用の飼料や肥料に使うだけで全体の2~3割しか使わず、残りは海に投棄してきた。

 これに対し、日本は肉だけでなく、皮も骨も内臓も全て利用してきた。日本人と鯨の関係は有史以前にさかのぼる。縄文時代の遺跡からも鯨やイルカの骨がたくさん出てくるという。丸ごと利用の背景にはそんな歴史がある。

 そして鯨への感謝を日本人は忘れなかった。小松正之氏の『日本人とくじら―歴史と文化―」(雄山閣)によると、日本各地に鯨の供養塔や墓が50カ所以上ある。

 商業捕鯨が再開されても、鯨肉の消費低迷を心配する向きがある。日本人が鯨肉から遠ざかったのは、反捕鯨キャンぺーンの影響もあるだろう。関わりを取り戻す努力が必要だ。