栃木県日光市の今市は江戸時代、日光街道…


 栃木県日光市の今市は江戸時代、日光街道、例幣使街道、会津西街道が交わる宿場町として栄えたところ。その杉並木は特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けて保護されている。

 街中にある道の駅「日光街道ニコニコ本陣」は、地元の野菜をたくさん並べ、駐車場は満杯。街を一巡りして知らされたのは、二宮尊徳の存在の大きさだ。ここは彼の終焉(しゅうえん)の地であり、農村復興事業最後の舞台。

 将軍家から寄進された日光神領は18世紀、荒廃が著しく、日光奉行所でも復興できずにいた。尊徳が幕府の御普請役格として「仕法雛形」を作り、実行すべく廻村したのは嘉永6(1853)年7月。

 だが9月に倒れ、安政3(1856)年10月に死去。事業を引き継いで成功に導いたのは門弟たちだ。尊徳が拠点を置いた報徳役所は、現在「二宮尊徳記念館・日光市歴史民俗資料館・日光市民活動支援センター」になっている。

 同記念館で強烈な印象を受けたのは彼の遺(のこ)した「報徳訓」。復興事業の核になった思想だ。「父母の根元は天地の令命に在り/身体の根元は父母の生育に在り/子孫の相続は夫婦の丹精に在り/父母の富貴は祖先の勤功にあり」。

 自己が存在するのは先祖から繋(つな)がってきた父母の生育の賜物だから、恩徳に報いる気持ちで勤労しようというもの。日本でも「同性婚」を求める人が出てくる中、この単純な訓示が心に残る。尊徳が実証したこの原理から父母が消えれば、荒廃が始まるだろう。