「空のほか何も映らず春の水」(高浜年尾)…


 「空のほか何も映らず春の水」(高浜年尾)。春と聞いても、なかなか実感が湧かない。梅の花も、まだ寒さが残っている感じがする。その意味で、春の暖かさを感じさせる花は桜かもしれない。

 桜の開花は関東地方では今月下旬からのようで、あと一息というところまで来ている。気流子が桜の時期になると思い出すのは大学受験のこと。合否判定の電報を家で待っていた時の気持ちがありありとよみがえるからだ。

 電報が「サクラ サク」であれば合格だが、「サクラ チル」とあれば不合格。残念ながら、気流子は「チル」は受け取ったが、「サク」方は経験していない。というのも、「サク」の電報を待っているのは精神的にきついので直接掲示板で確認しようと思ったから。

 駅から大学までの道が遠く感じたものである。見たいような見たくないような微妙な気持ちだった。大学の正門までは、土手道沿いに桜の並木があった。その時はまだ咲いていなかったと思うが、はっきりとは思い出せない。ただ、入学式直前に満開の時期は終わっていた。

 合格を確認した時は、少しばかり夢見心地だった。その気分を表現すれば、太宰治の「葉」という小説にある「選ばれてあることの恍惚(こうこつ)と不安と二つ我にあり」。フランスの詩人ヴェルレーヌの詩句だが、まさにそんな気持ちだった。以来、もうかなりの星霜を経ているが、今でも結果を知る前に歩いたあの時の桜並木が忘れられないものとなっている。