まだ松の内だが、正月気分はいまひとつという…


 まだ松の内だが、正月気分はいまひとつという知人がぼやいていた。昨年末からの仕事が終わらないので、落ち着いて家でのんびりもできないというのである。確かに正月といっても、初詣やテレビの新年番組など恒例の行事や祭事を通過しないと実感できない面もある。

 「正月も二十日に成て雑煮かな」(嵐雪)。気流子も知人のぼやきとは別に、何かが欠けていることに気付いた。それは餅を入れて食べる雑煮である。年が明けてから、これまで雑煮や餅を食べていない。それが正月気分を少しばかり薄めている。

 餅は昨年末に買ってあるから、食べようと思えば食べられる。なぜ食べようという意識が薄れているのか。

 かつては餅つきをし、家族そろって食べていた。今は核家族化し、夫婦そろって仕事で忙しい。餅はコンビニやスーパーで買ってくるものとなって、特別な食べ物という感じが薄れている。

 それだけではなく、高齢者が餅を喉に詰まらせる事故がこの時期に多発するので、それが気になっていることもある。そういえば、作家の野坂昭如の日記に、高齢になり、喉に詰まらせることを危惧して恐る恐る餅を食べていたという記述があったことを思い出す。とはいえ、餅の賞味期限は切れていない。

 嵐雪の句も、どのような事情があったか分からないが、20日ごろになって食べた雑煮に感慨深いものがあったのだろう。やはり正月の雑煮は、伝統的文化としていつまでも大切にしたい。