明治25(1892)年ごろのある日、小説家・…
明治25(1892)年ごろのある日、小説家・劇作家の坪内逍遥(33歳前後)は、東京・文京区の小説家、森鴎外(30歳前後)邸を訪ねた。原稿の催促のためだった。その後に予定があったので、あくまでもついでの訪問だ。用件が終わって帰ろうとすると、鴎外の母がそばを持って来た。胃弱でもあり、親友と会う次の約束もあるので、逍遥は食事を断った。
逍遥との間で文学論争中だった鴎外は、それを「逍遥は論敵の食は口にしない覚悟でいる」と解釈した。以後、両者の関係は悪化した。
起きてしまったことは取り返しがつかないが、逍遥が事情をキチンと鴎外に伝えた上でそばを断ったとすれば、合理主義者で医師でもあった鴎外のことだから、話は十分伝わったと思われる。
そもそも、いきなりそばを出す前に、逍遥の意向を聞いた上でも遅くはないのでは、とも思う。「論敵の食は口にしない」という鴎外の解釈も、合理的な半面ひがみっぽい彼の個性が前面に出過ぎた格好だ。
以上は、伊藤整著『日本文壇史3』(講談社文芸文庫)に出ている話だ。多くの原資料を使って書かれたもので、伊藤自身も、この一件について明確な判断を下していない。もはや誰も、正確なところは分からないだろう。
1世紀以上も前に起こった小事件だが、この種の人間関係の食い違いは昔も今も変わらない。他人との微妙な「ズレ」の存在は、どうやら人間の宿業であり続けそうだ。