「現代になって、人は表現する対象を失って…
「現代になって、人は表現する対象を失ってしまった。自然への畏怖や神の姿、いや、美そのものが陳腐化してしまった」。これは美術史学者の河合正朝さんが、2年前に東京都写真美術館で開かれた「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展に寄せた言葉だ。
この展示会では、杉本さんの提示する「今日 世界は死んだ もしかすると明日かもしれない」というテーマに、各界33人の知識人がその理由について考えコメントを寄せていた。
遊び心もあってだろうが、現代文明が滅んでいくという予感は多くの人が心の片隅に潜ませているようだ。河合さんの言葉には賛否両論あるだろうが、ある面で本質を突いていると言っていい。
現代美術の低迷はアーティストたち自身がよく認識していることなのだ。ところで同じようなテーマの美術展が、東京・渋谷区立松濤美術館で開かれている。「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」である。
西洋では18世紀以降、廃墟(はいきょ)が絵画の主題に登場する。イタリアで古代ローマの遺跡が発掘されて調査され、「グランドツアー」も盛んになって遺跡を訪ねる人々が多くなるからだ。
そこには旅の楽しい雰囲気がある。一方、日本でも幕末から廃墟が描かれたが、西洋絵画が手本だった。展示をたどると、どの時代にも増して、現代絵画にこそ滅亡の実感が強い。大岩オスカールさんや元田久治さんらの作品がそれを示している。人間そのものが問われる時代なのだ。