「一体今新派の歌と称してゐるものは誰が…


 「一体今新派の歌と称してゐるものは誰が興して誰が育てたものであるか。此問に己だと答へることの出来る人は与謝野君を除けて外にはない」。森鴎外が与謝野鉄幹の歌集『相聞』に寄せた言葉だ。

 近代文学史の中の鉄幹の重要性を指摘している。鉄幹は1900年に文芸誌「明星」を創刊。上田敏の訳詩が掲載され、北原白秋、石川啄木が見いだされ、夫人となる晶子も才能を発揮していく。

 次いで18年、文学者の鈴木三重吉が児童文芸誌「赤い鳥」を創刊。白秋は童謡、児童詩欄を担当し、関東大震災後は、三重吉の紹介で作曲家・山田耕筰と組んで、名曲「からたちの花」をはじめとする数々の童謡を作った。

 今年は童謡誕生100年目で、これを記念して映画「この道」が製作された。主役は白秋(大森南朋)と耕筰(AKIRA)のコンビだが、師の与謝野夫妻をはじめ、三重吉や白秋を慕う啄木ら若手詩人も登場。

 詩人たちの師弟関係、交友関係が分かるだけでなく、天才詩人白秋と秀才音楽家耕筰の友情が稀有(けう)なものだったことが印象付けられる。それ以前の子供の歌は各地で伝承されてきたものか、ドイツの曲を使ったものだけ。

 日本人による日本人のための新しい歌は、2人によって作られたのだ。「からたちの花」は25年、日本初のラジオ放送で演奏され、「からたちの花が咲いたよ」の俗語の終助詞「よ」が詩語として注目された。鉄幹の開いた道だ。映画は来年1月公開。