「雲あれど無きが如くに秋日和」(高浜虚子)…
「雲あれど無きが如くに秋日和」(高浜虚子)。秋は過ごしやすい季節のはずだが、今年は台風などの影響で秋らしい青空がなかなか見られない。
秋に関する季語を見ると「秋の日」「秋晴」「秋高し」「秋の空」「秋の雲」「秋の山」「秋の野」「秋風」「秋の暮」「秋の雨」とバラエティーに富んでいる。これらの季語を眺めているだけで、目の前に秋の情景が浮かんでくる。
それだけ空気が澄み、野や山、雲などの形状をくっきりと浮かび上がらせるからだろう。秋はよく春と対比される。どちらもそれぞれ特色があっていいのだが、古代の日本人が遊びで両者の比較をした記録がある。
判定をしたのは万葉歌人の額田王(ぬかたのおおきみ)で、彼女は春の花の美しさや華やかさを挙げて褒めつつも、最終的には秋の親しみやすさに軍配を上げている。春はすべてが萌(も)え出てエネルギーに満ち、青春のような季節であるのに対し、秋は壮年や老年のような成熟したイメージがある。
額田王は恋多き女性として有名だが、こうした精神的な遍歴がこの判定の背景にあるのかもしれない。秋の季語の一つに「秋の声」という不思議なものがある。これは現実の声ではなく、「耳に聞こえるというのではない。心に感ずる音、すなわち秋の気配といったものである」(稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』)。
「大楡の葉末にありし秋の声」(佐藤洸世)。心に感じる秋の声という季語の機微は、日本人独特のものではないか。