「雲間より稲妻の尾の現れぬ」(高浜虚子)…


 「雲間より稲妻の尾の現れぬ」(高浜虚子)。最近、突然の豪雨に遭遇したことがある。強風を伴う雷雨となって光と音のシンフォニーが爆発し、辺り一面を占領する。傘もほとんど役に立たないほどの勢いである。

 落雷による火事や事故も時々ある。改めて自然というものの恐ろしさを感じさせる。一方、雷のことを「稲妻」と書くのは、これが古くから稲の生育と関係していると考えられてきたからだ。

 稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』は、季語の「稲妻」について「秋の夜、遠い空に音もなく走る稲光(いなびかり)をいう。このとき稲が実ると古くは信じられていた」とある。だから、雷を恐れると同時に稲の実りをもたらすものとして待望もしていたのである。

 そのせいか、日本画で描かれる雷神は、恐ろしい神々というよりも、どこか親しみのある風貌(ふうぼう)をしている。特に、国宝の俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を見ると、風神も雷神も恐ろしいという感じはあまりしない。表情にしても姿にしてもユーモラスでさえある。これが奈良の東大寺にある金剛力士像だと、見る者を威圧するような迫力がある。

 風神雷神が親しみ深く描かれているのも、稲の実りと関わりがあるからだろう。稲は古代から日本人の大切な食糧であるだけではなく、神事に用いられるほど伝統文化の核心を形成している。

 例えば、宮中祭祀(さいし)である収穫祭の「新嘗祭(にいなめさい)」は、このような稲に対する感謝と祈りが凝縮した行事である。