陰謀論はなかなか消えない。人間の本性と…


 陰謀論はなかなか消えない。人間の本性と結び付いているためだろう。が、「この陰謀論のこの点は歴史学から見て違う」と指摘することは必要だというのが、呉座(ござ)勇一著『陰謀の日本中世史』(角川新書)の立場だ。

 「最終的な勝者が全てをコントロールしている」というのが陰謀論の典型だ。本能寺の変の最終的な勝者は豊臣秀吉だから、彼が黒幕だという話になる。事件を知った秀吉が想定外のスピードで都へ戻って明智光秀を打ち破ったのだが、「あれほど早く都へ戻れたのは、織田信長の死を事前に知っていたため」との論も多い。

 結果を知った上で事件を解釈するのが陰謀論だ。信長の死を知った後、「ここが勝負」と考えて、あらゆる知恵を絞った結果が秀吉の勝利だったというふうには考えない。

 秀吉以外の黒幕説も「光秀風情があの信長を討つことなぞできない」との前提から生まれる。光秀への過小評価と、信長への過大評価が結び付いて、朝廷と貴族、または足利義昭が黒幕とされる。

 偶然が重なったところを捉えて事を起こすことが時にある。信長と嫡男信忠がたまたま京都の近い場所にいたという絶好の機会に謀反を起こした結果、父子を同時に討ち取ることができた。周到な計画があったわけではないというのが著者の論点だ。

 「陰謀論なぞ批判しても学問的業績にならない」などと言っていないで、時には歴史学者も陰謀論に言及してほしいとの著者の希望に同感だ。