「山崎豊子は、戦後日本の文学の中にあって…
「山崎豊子は、戦後日本の文学の中にあって、(略)『真に男らしい男』を描きえた唯一の作家」(大澤真幸(まさち)著『山崎豊子と〈男〉たち』新潮選書)とあるのを目にした時、「!?」と思った。
山崎が批評や研究の対象になったことは、めったにない。何千もの批評が残っている三島由紀夫とは対照的だ。それでも「男らしい男」を描いたのは、三島でも松本清張でもなく、山崎だったというのが大澤説だ。
三島は「男らしい男」を描こうとはしたが、文学作品中の人物として造形されるには至らなかった。清張の『砂の器』に登場する和賀英良は、自分を守るために殺人を犯す人物だが、結局は自分の過去が明らかになるのを恐れた臆病者にとどまる。
これに対して、『白い巨塔』の主役・戝前五郎は、山崎が初めて描き出した「男らしい男」だ。戝前は、医学部教授の地位を得るために進んで「悪」を行う確信犯だ。
目的のためには、他人に被害が及ぶことも全く厭(いと)わない。戝前型の男は政治の世界も含めて普通にいるのだが、なぜか文学作品の中で描かれることはなかった。
「不機嫌な男」「苦悩する男」は明治中期以来の日本近代文学の歴史の中でたくさん描かれてきたが、「男らしい男」を表現することに成功を収めた文学者は、山崎以前にはいなかったというのが大澤氏の論点だ。当の山崎も自覚していなかったと思われる「戝前=男らしい男」というポイントを指摘した興味深い本だ。