道を歩くと、セミの死骸が転がっている。…
道を歩くと、セミの死骸が転がっている。なぜかアブラゼミが多い。太い胴体を持つクマゼミの大きな鳴き声は、聞こえる機会は多いが死骸は少ない。
涼しげで好ましいミンミンゼミの声は、時にクマゼミの声によって遮られてしまう。その死骸も少ない。アブラゼミの死骸をよく見るのは、個体数が多いからだろう。30年ぐらい前までは、セミの代表はアブラゼミだったが、鳴き声だけで言えば、今やクマゼミに圧倒された。
そのアブラゼミを詠んだ句の一つに「油蝉たつた一度の死を生きて」(藤井正幸)がある。アブラゼミは、間もなく訪れる死を前にして鳴いているとも読めるし、秋近くなって、あちこちで死骸を見掛けることが多くなったともとれる。
難しいところだが、間近な死に向かって鳴いているとするのがよさそうだ。「死を生きて」が、このアブラゼミの置かれた切迫した状況をよく捉えていると思われるからだ。
「死を生きて」がやや観念的で、映像に結び付きにくい点はある。だが、土中での数年の幼虫生活を終え、わずか1週間前後の「地上の生」を味わった後、子孫を残してあっさり死んでいくセミの姿は「死を生きて」でなければならないことも分かる。
人間も生物の一種だから、死に向かって生きている点に変わりはない。そう言えば昔、「せっかく地上に出て来たセミなんだから、むやみに捕まえたらかわいそうだ」と親から言われたことも思い出す。