「山裾を白雲わたる青田かな」(高浜虚子)…
「山裾を白雲わたる青田かな」(高浜虚子)。郊外へ向かう電車から窓の外を眺めていると、都会の無機質な風景の中に木々の姿や季節の花が咲いているのを見掛ける。春は桜、そして今ごろは家と家との間の所々にある青田である。青田はふるさとの田園風景を思い出させて心が癒やされる。
梅雨の時期は気分が沈みがち。だが、青田はそんな気分を少しばかり払拭(ふっしょく)してくれる。その意味でも、自然のもたらす効果を実感する。私たちが身の回りに植物を植えて楽しむのも、もともと人間は自然とともに生活していたからだろう。
都会生活というのは確かに便利で快適だが、それだけで人間は満足できない。レジャーなどで自然に親しむのも、そんなヒーリング効果を求めてのことに違いない。
とはいえ、時に自然はその牙をむくことがある。九州地方を襲った記録的な豪雨もその例だ。多くの被害を出した被災地のことを思うと声も出ないほどである。
自然は癒やしだけではなく、試練や被害をもたらすものでもあることを改めて知らされる。日本列島は自然の災害とともに歴史を歩んできたと言ってもいい。人間の意志ではどうにもならない天変地異に見舞われてきた。
伝統的な日本文学を顧みれば、そうした自然との関わり抜きでは考えられない。万葉集や源氏物語などの古典文学は、四季折々の風物詩の織り成す芸術だった。自然とともに、日本人の喜びと悲しみがあったのである。