<春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ…
<春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ>。「万葉集」巻19に収められた大伴家持の歌である。印象派の外光表現を歌にしたように絵画的で、特別な説明は不要のように思われる。
しかし、この歌が詠まれた場所が、大和ではなく、越の国いまの富山県高岡市であると聞くと意外に思う人も多いだろう。家持が天平18(746)年から約5年間、越中国守として赴任していた時の作である。
植樹祭のため富山県を訪問された天皇、皇后両陛下が富山市の「高志(こし)の国文学館」を視察された。開催中の「大伴家持生誕1300年記念企画展」などをご覧になったとの記事を読んで、家持と越中富山のことが思い浮かんだ。
家持が越中に赴任したのは29歳の時。「万葉集」には家持の歌473首が収められているが、そのうち越中時代に詠んだ歌は223首に上る。ロマンの香りの高い歌が多い。
<もののふの八十娘子(やそをとめ)らが汲みまがふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花>もその一つ。堅香子はカタクリで、平成7年には高岡市の花に指定されている。夏でも雪を頂く神さびた立山を歌った名歌も残し、歌人としての収穫は多かったようだ。
当初単身赴任だった家持だが、任期後半には妻の坂上大嬢もやって来た。妻と過ごした越中の国への愛着は深かった。天平勝宝3(751)年、同地を去るに当たっては<しなざかる越に五年(いつとせ)住み住みて立ち別れまく惜しき夕かも>の歌を残している。