桜の季節。あちこちで咲いたり散ったりして…


 桜の季節。あちこちで咲いたり散ったりしている。これが毎年繰り返される。「桜は美しい」という人は多いが、「桜にはもう飽きた」という人はあまりいない。美しいのはその通りだが、「美しい=素晴らしい」でいいのか、その美しさはどこからやってくるのか。これをテーマにして、ごく短い小説を書いたのが梶井基次郎だ。

 桜が美しいのは、樹の下に死体が埋まっているからだ(そうでなければ、あんなに美しいはずはない)と梶井は書いている。「桜の樹の下には」という作品で、昭和3年に発表された。

 桜についてではないが、ドストエフスキーの最後の作品『カラマーゾフの兄弟』の中には「美という奴は恐ろしい恰(おっ)かないもんだよ!」というセリフがある。「美しい」という感情も、ただそれで終わりと言って済ますわけにいかない人々は、古今東西一定の割合でいるようだ。

 「世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」(在原業平。この世に桜がなければ、私の心はもう少しのどかでいられたのだが)は、桜が自分の心を悩ますものであることを詠んだ歌だ。

 芭蕉の「さまざまの事おもひ出す桜哉(かな)」も、桜がただ美しいだけでなく、楽しいことやイヤなことなどさまざまな記憶を呼び戻すような働きをすることが詠み込まれている。

 もっとも業平や芭蕉の桜は、21世紀の今、われわれが桜と呼んでいるソメイヨシノ(明治初期以降)とは品種が別だ。