「あふむけば口いつぱいにはる日かな」(成美)…
「あふむけば口いつぱいにはる日かな」(成美)。夏目成美は江戸後期の俳人である。本業は武家相手に米の仲介業をした蔵前の札差(ふださし)で、商人としての顔を持っていた。一方、俳諧をたしなみ、寛政時代の三大家の一人と言われた。
江戸時代の商人の教養の高さを感じさせるが、成美は一時期、小林一茶のパトロンのような立場で、その生活を助けた。藤沢周平の小説『一茶』では、屈折した一茶と成美の交流が描かれている。
当時は現代ほど出版文化が盛んではなく、俳人が自立して生活できるほど経済的に余裕があったわけではない。別に職業を持ち、余技として俳諧をたしなむのが普通だった。俳句だけで生活するには俳諧の師匠とならなければならず、弟子たちの援助や作品の添削の謝礼などが主な収入だった。
それでも、なかなか生活できるだけの余裕はないので、地方の弟子や支援者の家を回り、そこに寄宿しながら生活した。芭蕉の吟行も、こうした支援者を訪ねながらの旅でもあった。
「うら門のひとりでにあく日永かな」(一茶)。同じ春の日を詠みながら、成美の端正で品性を感じさせる句と比較すると、野性的で粗野な感じがするのも、その育ちの違いの故だろう。
一茶の句からは、経済基盤のない危うさ、寂しさなどが伝わってくる。しかし、冬が終わり、春を迎える喜びは、二つの句から同じように感じられる。春を代表する桜の花が、東京では満開になろうとしている。